「データの衝撃」試論① ――ネットは政治の何を変えるのか


 2013年のネット選挙解禁は、日本の選挙に新しい位相をもちこんだ。選挙の動員に、さまざまな情報技術を用いる、いわゆる「サイバー戦」がかなり広範に認められるようになったからだ。それ自体は、揺らぐことなき事実である【1】。
 ここで気になるのは、ネット選挙がおよぼす選挙結果への影響であり、投票行動への影響である。ネット選挙の解禁とサイバー戦の公式の解禁は、私たちの社会にとって、どのような意味があったのだろうか。
 もしかすると、このように書くと、直ちに「ネット選挙は、全体としては投票行動や投票の結果に強い影響力を持たなかったのではないか」という声があがるのではないか。
 筆者自身が各所で、そのような議論を行ってきたことも事実である。事前に指摘されていたような投票率の顕著な向上も観察されなかったし、「コストのかからない選挙」なるものも現時点ではまったく実現する兆しはない。
 それどころか、東京都選挙管理委員会が、2014年3月31日に公開した資料によると、ネット選挙それ自体の認知は8割に迫るものの、実際にネット上で情報に触れた人は4割程度に留まり、しかも「ほとんど参考にしなかった」と回答した人が6割を越えている【2】。
 個別の選挙におけるネット選挙の参考の度合いを問うた世論調査などでも、ほぼ同等か、むしろそれ以上の否定的な意見が寄せられている。
 その一方で、「いや、ネットからダイナミックな運動が起こる気配が観察されたこと、それ自体が大きな変化なのだ」という意見もある。
 だが、これらはデータでは観察しにくく、得票率などの指標では、むしろ過去にネットを中心として支持率を集めていた泡沫候補らと大差がなかったともいえる。「(結果をともなわない)プロセスのダイナミックな変容」は、日本では奇しくもかねてから一向に選挙で勝利する気配のない政治集団が標榜してきたこともあり、心情的には共感しつつも、客観的には同意できない点も少なくない。
 メディア研究の分野では、新しいメディアや技術革新が政治に与える影響について、「新しいメディアは政治力学を変更しうる」(変化仮説)と、「新しいメディアも既存の政治力学の中で機能する(≒したがって、政治力学を大きく変更しない)」(正常化仮説)という立場が、議論を戦わせてきた。
 既存研究では、とりわけ、日本の政治環境に関していうと、後者が支持されてきたし、「プロセスの変容」を成果として主張し続ける限り、両方の立場はなかなか交わり難い。
 しかも、これはある意味では、「面白くない結論」でもある。新しいメディアや技術の登場も、端的に言って、既存の政治力学に対して、あまり大きなインパクトを与えなかったということであるから、とりわけ、判官贔屓な読者諸兄は少し残念にも思われるのではないだろうか。筆者もそちらの側に属している。

 インターネットは、その出現当初から現在に至るまで、どこかユートピア的で、反体制的な要素を持っている。そこでは、弱いものが、新しい手法で、強者に打ち勝つ物語が好まれ、革新的思考や、技術の持ち主に対しては惜しみない賞賛が寄せられる文化が根強く存在している。
 たとえばその物語は初期のコンピュータ業界におけるスーツとギークの闘いとして描かれている。当時のコンピュータでは、巨大なメインフレームが中心であり、それを時間課金のもと利用するという仕組みだった。その仕組を寡占して利益をあげていたのは、スーツを着用したエリートたち(スーツ:suits)だった。しかし、その状況に憤った反体制的で名もなきオタクたち(ギーク:geeks)は新しいアイディアと手法により、その独占状態を打ち破り、万人に対してコンピュータを解放したのだった。
 大企業やエリートをメインターゲットに据えたメインフレーム機に対抗して、コンピュータの個人利用を可能にするパーソナルコンピュータ、いわゆるパソコンを普及させたのは、初期のAppleであった。同社は、その挑戦を、「IBMというコンピュータ業界の巨人に挑む、挑戦者Apple」という構図で積極的にアピールした。よく知られているのが、1984年にアメリカのスポーツの祭典のひとつの頂点である、スーパーボウルでAppleが打った広告だ。そこには大きく「1984」と掲げられていた。
 ジョージ・オーウェルの監視社会化が進んだ未来社会を描いた同名小説にインスピレーションを得たと言われるそのCMは、今もインターネットの動画共有サイトで視聴することができる。
 それから30年が立った現在でも同種の物語が残っている。たとえば、映画『ソーシャル・ネットワーク』(デビッド・フィンチャー監督、2010年)で描かれたFacebook社の創業物語にもそのような軌跡を見出すことができるだろう。そこではハーバード大学の文武両道のエリートと、同大学を中退するザッカーバーグが対照的に描かれていた。物語の随所で、既存のエリートあるいは社会の常識というものとザッカーバーグは対立していく。

 こうした「ダビデとゴリアテ」の構図は物語としてだけではなく、実践としてのネットビジネスにおいても、既存企業の力学を変更してきた革命的な側面がある。
 かつては、街中で見かけた音楽量販店は、すっかり鳴りを潜めてしまった。そもそも若年世代に至っては、「レコード屋」といっても伝わらないかもしれない。ネットを市場として「音楽データ」を売買するようになった現在、かつては才能の発掘~製作~流通までを一手に担い音楽業界でパワーを占めていたレコード会社は急速にその勢いを落としている。というのも、寡占状態にあった音楽市場がネットによってオープンになった結果、歌手や音楽家たちは自分たちだけで曲を作り、パッケージにし、市場に流すことまでができるようになった。宣伝についてもSNSや自らのサイトなどで行うことによりほとんどリスクなくリスナーにアピールでき、その反応いかんによっては大きく市場に打って出ることができるようになった。自らの才能を信じることができさえすれば。そこにはハードルはない。
 そして、今、活字媒体(書籍・雑誌・新聞)にも、電子書籍化という大きな変化が押し寄せている。未だ、顕著なビジネスの変容を促すには至っていないが、音楽ビジネスの変容を見ると、いずれ転換期が訪れると考えられる。
 小売業全般に視野を広げてみても、少額決済機能を備えたプラットフォームや、昨今では、クレジットカード決済できるSQUAREのような端末がコンビニエンスストアで(!)販売されているから、誰もが至極簡単に小売業を始めることができる。コンテンツを商材にすれば、実際にどれほど売れるかはともかくとして、元手もなしにビジネスを始めることができてしまう。
 現実には、サイバースペースの動向にも、大国の利害関係が複雑にかつ顕著に絡み合っているし、情報流通も統制されている。またビジネスについても、かつてのスタートアップ企業も、現在では巨大企業に成長しているので、強者の論理に対して弱者が知恵で対抗し、マーケットを切り開いていく潮流というのは、黎明期ならではの現象であった可能性は否定できない。
 しかし、それでも「革命の物語」が、根強く規範として存在し、かつ広く共有されていることは特筆すべきであるし、物語においても、市場においても既存主体のパワーバランスを変更するという意味において、インターネットや関連サービスが革命の手段となってきたこともまた事実である。

 ここで、本書の冒頭の問いに立ち戻ってみたい。結局のところ、ネット選挙の解禁が、政治、民主主義、そして社会に与えた影響を、どのように考えればよいのだろうか。
 政治でも、半ば都市伝説のように語られる、2008年と2012年の2度のオバマの大統領選挙の例を考えてみたい。彼と彼のチームはインターネットやSNSを使って、個人の草の根献金の促進を行った。また似た志向をもつ、支持者をマッチングし、その繋がりを強固なものにし、さらに支持を強めるといった取り組みを行った【3】。
 これらの運動を、独自のSNSなどで実現したわけだが、その背景には、徹底したデータ志向があった。オバマ、そして民主党の支持者と支持層について、あらゆる角度から徹底してデータを収集し、それらを分析したのである。その結果にもとづいて形成されたのが前述のような選挙キャンペーンと、キャンペーンを支える新しいコミュニティだったのだ。
 オバマは、こうして集めた資金とコミュニティによって、従来、大口献金と巨大な支持団体が必要とされた大統領選挙にものの見事に勝利した。過去にも民主党のハワード・ディーンやアル・ゴアもインターネットを積極的に活用したことが知られているものの、大統領選で勝利することはできなかったから、オバマはただの夢物語ではなく極めて現実的な意味で、新しい選挙戦の方向性を提示したといえる。
 これはいってみれば、「データの革命」(Revolution by data)である。データの集積によって、人々の意思決定や投票行動に、そして大統領選挙の結果に大きなインパクトをもたらすことに成功した【4】。しかも、データの革命は、オバマとその支持者たちが意図をもって引き起こしたものである。「革命」と呼ぶからには、技術によって勝手に生じた現象ではなく、明確な意図を持った人々の戦略と戦術によって、成就した人為的な事態であることは特筆しておくべきであろう。
 そして2012年のオバマの大統領選挙には、もう一つ対になった、データの革命があった。ネイト・シルバーというアナリストの仕事である。
 当時、彼はニューヨーク・タイムズで働いていたが、全米50州の選挙結果をすべて予想し、的中させた。アメリカの大統領選挙は、形式的には538人の選挙人の投票の行方で決まるが、その投票先をすべて予見したのだ。シルバーは、自身のブログを、この象徴的な数字を冠した「FiveThirtyEight」という名称で運営しているように、この数字は重みのあるものであった。
 大統領選挙の報道の現場では、長年培った勘と経験に基づいて選挙の動向予測が行われてきたが、それらがデータで置き換えられた瞬間でもあった。それと同時に、民主主義の根幹を為す選挙という公への参加行為でさえ、いくつかの条件が整えば、データとデータ分析の手によって、投票行動に基づき結果を先読みし、また自らに有利なように投票行動に影響を与えることも可能であるということが、ある種実証されたともいえる。
 日本でも、ヤフー・ジャパンの「Yahoo!ビッグデータ」において、自社の検索データを用いて、2013年の参院選における政党の獲得議席を予測するという試みが行われている【5】。またホットリンク社の「口コミ係長」のように、インターネットの各プラットフォームにおける話題と傾向を瞬時に分析し、可視化するツールを、各政党が利用し始めている。同種のサービスが複数登場してきており、今後もこうした傾向は加速的に進むだろう。
 次回、このような情報技術の進化と政治の接触に伴う、プロセスの変容と、従来通りの予想された結果という、どこかちぐはぐな事態を、「データによる動員」(campaign by data)、「データによる参加」(participation by data)「データによる透明化」(transparency by data)という3つの視点から読み解いてみたい。

 注:

[1]精確には、日本で解禁されたのは、「インターネット選挙運動解禁に係る公職選挙法の一部を改正する法律」の成立に伴う、公選法第142条への条文の追加による「インターネット等を用いた文書図画の頒布の解禁」である。したがって、「ネット選挙解禁」という語感が示唆するような電子投票等の解禁が認められ実施に向かっているわけではないではない。本来「ネット選挙運動」と記すべきであるが、慣例に従って、本稿でも「ネット選挙」と記すことにする。
[2]http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/topics/h25yorongaiyou.pdf
[3]2008年の取り組みについては、ラハフ・ハーフーシュの著書『「オバマ」のつくり方 怪物・ソーシャルメディアが世界を変える』(阪急コミュニケーションズ、2009)などが詳しい。
[4]中東での民主化を促した一連の「アラブの春」や、格差問題を主張した「オキュパイウォールストリート」、新しい保守勢力がネットで動員する「ティーパーティ」もあるが、これらは一定の動員には結実しているが、安定した体制の変更や、政治的影響力という点では、その成果は未知数でもある。
[5]http://event.yahoo.co.jp/bigdata/senkyo201307/

  第一回へ

ページトップに戻る

西田亮介

1983年京都生まれ。
立命館大学大学院先端総合学術研究科特別招聘准教授。

専門は情報社会論と公共政策。情報化と社会変容、情報と政治(ネット選挙)、社会起業家の企業家精神醸成過程や政策としての「新しい公共」、地域産業振興、協働推進、日本のサーフカルチャーの変遷等を研究。

著書に『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)、『ネット選挙とデジタル・デモクラシー』(NHK出版)。共編著・共著に『「統治」を創造する』(春秋社)、『大震災後の社会学』(講談社)等。

Web春秋トップに戻る