第二回 白拍子のすがたは


 前回の「白拍子とは」では、白拍子そのもののほか、白拍子以前の女性の歌舞、そして白拍子が生まれるときにいた周辺の人々について紹介しました。
 今回は、白拍子のすがたを、「職人歌合[しょくにんうたあわせ]」から見てゆきましょう。

▼職人歌合
 職人とは、専門的な職業に従事する人をさしますが、この時代の貴族からみて「異なる世界の人々」を意味していました。「職人歌合」には、中世の職人の姿が描かれています。特徴的なところは、少し似ているけれど、異なる二つの職種の人を「左」「右」と並べているところです。
「歌合」そのものは、平安時代に始まったもので、歌人が左右にわかれ、詠んだ歌を比べ合って、その優越を決める歌会遊びです。その形式にならって、「職人歌合」でも左右両者の職人の特徴を歌にします。
 現代で言えば、以下のような感じになります。

【一番】
「左」ファースト・フードの店員
 [歌]「いらっしゃいませ」と明るく迎え、オーダーを復唱し
「右」コンビニの店員
 [歌]「二番目にお待ちのお客さま」と元気よく、品出しとレジを往復し

 この「職人歌合」には、職業の一つとして「白拍子」が出てきます。平安・鎌倉・室町の時代ごとに、その白拍子を中心に見てゆきましょう。

▼鶴岡放生会職人歌合[つるおかほうしょうえ・しょくにんうたあわせ]
「放生会[ほうしょうえ]」は、「八幡宮」という名の付く神社で、8月15日に、捕らえた生き物を野に放す法会【1】です。今でも、宇佐八幡神宮、岩清水八幡宮、筥崎八幡宮、また興福寺、放生寺などでも行なわれています。慈悲を示すことによって、当病平癒(病気が回復)すること、疫病退散を願います。また収穫祭、感謝祭の意味もあります。鎌倉時代の中頃に鎌倉の鶴岡八幡宮でこの法会が行なわれました。旧暦の8月15日は、仲秋の名月の日です。そこに、たくさんのあらゆる装いをした、さまざまな職種の人々が参拝に来ました。すると、二人の翁【2】が「昔の都(京都のこと)で、歌合があったように、今ここで新しい番[つがい](二つで一組)の歌合を詠もうではないか」と言って、鶴岡八幡宮の神主を判定者にして、歌合わせの優越を争った、とあります。
 それが、「鶴岡放生会職人歌合」です。底本(原本)は、弘長元(1261)年ごろ、鎌倉中期にできました。

 この歌合は、一二番ありました。一番につき、2人ずつ載せるわけですから、合計24人の職種が揚げられています。
 どんな職種が比べられているかと言うと
 「楽人(音楽家)」—「舞人(舞踊家)」
 「宿曜師(占星術師)」—「算道(算術師)」
 「持経者(法華経を読む僧)」—「念仏者(南無阿弥陀仏と唱える者)」
 「絵師(絵描き)」—「綾織[あやおり](テキスタイル手工芸者)」
 「銅細工(工芸人)」—「蒔絵師[まきえし](漆工芸職人)」
 「畳指[たたみさし](畳職人)」—「御簾師[みすし](すだれ作り職人)」
 「鏡磨[かがみとぎ]」—「筆生[ひっせい](筆写家)」
 「相撲(競技者)」—「博労[ばくろう](牛馬の売買、仲介者)」
 「猿楽[さるがく]【3】」—「田楽[でんがく]【4】」
 「相人[そうにん](人相を見る人)」—「持者(女装をする男巫)」
 「樵夫[しょうふ](林業)」—「漁夫[ぎょふ](漁業)」
などです。
 このように並べて、それぞれ二つの職種を歌に表してゆきます。
 一つの職業者に対して、「月」を入れた歌と、「恋」を入れた歌の二首が詠まれ、それが左右に並ぶので、合計で四首が詠まれます。
 この歌合において、四番目に「遊女[あそびめ]」と「白拍子」が比べられています。

遊女 白拍子

    [左]遊女                     [右]白拍子

▼「月」の句
 まず「左」が遊女です。

 河瀬より 影さす月の みなれざほ 船もながれの 波のよるよる

【現代語訳】河の瀬、流れの速いところに月がさしています。そのように使い慣れた棹をさすと、船は流れ、波は寄ってきます。遊女である私も、夜ごとに流れ、人に寄って行くのです。

 次に「右」に白拍子です。

 秋の思[おもい] 一声[ひとこゑ]にても かぞへばや 月見ることの つもる夜[よ]ころを

【現代語訳】秋の思いを一声[いっせい]に、歌いたいものだなあ。月を見ることが、幾夜も重なっているころだよ。

 遊女の句の「さす」は月の光がさすと、棹をさすとを掛けています。また「波のよるよる」は、波の寄ることと、夜を掛けています。
 遊女は、毎夜、船に乗ります。そして自分の歌を聴いてくれるお客さんを探しています。彼女たちは、地上で営業をしなかったようです。物売りや、猿楽、田楽といった芸能者は、路上で商売、営業をしていました。彼女たちは、そこにいるのさえ、はばかられる存在だったのかもしれません。流れの速い川瀬に映る月は、その形を留めず、光だけが映っています。そして、棹をさして、漕ぎ出せば、波はさらに船に逆らって寄ってきます。そんな揺れ動く船の上で、人に歌いかけ、寄って(営業をかけに)行きました。そんな遊女たちの歌は、切なく、哀愁を帯びた、そして波のようなゆらゆらとした旋律だったのでしょう。

 白拍子は、「秋の思[おもい] 一声[ひとこゑ]にても」と始まります。「秋の思い」も切なさを感じます。しかしそれを「一声」に、というのはどういうことでしょうか。一声は、一息で声を上げることでもありますが、現在の能には「一声[いっせい]」という、主役(シテ)が登場するときの囃子【5】があります。
 そしてもうひとつ、「一セイ」という謡の形式があります。「一声」が始まって、主役(シテ)が登場し、七五調の詞で歌い始めます。その形式を「一セイ」と言い、その謡の音域は、主に高音域を主としています。また囃子の「一声」がつかない舞の前など、他の部分でも「一セイ」が出てきますが、どれも音域は高いのが特徴です。
 それを「かぞへばや」。直訳すれば「数えたいものだなあ」になりますが、白拍子が歌うことを「かぞえる」と呼ぶ、当時の流行の言い方があったようです【6】。歌を「数える」というのは、「はっきりとした拍子があった」ということなのかもしれません。
 歌では、そうして夜空に出た月を眺め、いくつもの夜を重ねていると詠まれています。「かぞへる」は、その白拍子特有の「歌い方」と、その重ねた夜を数えるという掛詞にもなっています。
 切ない自分の思いではあるが、それをひと声で、高い音域で歌う。自分の思いをはっきりと、堂々と、人に伝えているように思われます。
 遊女の歌には不安定で、どこか暗い感じが漂い、一方で白拍子のはっきりした歌い方が歌に示されることで両者の違いがくっきりと表れているようです。

▼「恋」の句
 まずは「左」の遊女の歌。

 われながら たのまれがたき 契かな おもひさだめぬ 人を恋[こい]つつ

【現代語訳】我ながら頼みに(期待)しがたい契りであったよ。思いの定められぬ浮気な人を恋していて。

 次に「右」の白拍子の歌。

 思ひわび 心をせめて ふまれけり つらしつらしと いひかさねつつ

【現代語訳】思い嘆き、心を追いつめて、足拍子をはげしく踏むことだ。辛い辛いと言い重ねながら。

 遊女の歌では「頼りない」「思いが定まらない」と詠われている。「月」の歌でのゆらゆらとした感じにも似ていて、何か不安な思いが表れています。遊女は、音程や音高がはっきりとしない歌の節(旋律)を歌っていたのでしょうか。それは歌が上手ではなかったとも解釈できますが、反対に、非常に微細な音の使い方、難しい技巧があった、と考えることもできます。『梁塵秘抄[りょうじんひしょう]』という遊女や白拍子が歌ったと言われている歌詞集をみると、その教養、込められている意味の深さからして、遊女も当代きっての「歌姫」であったはずです。ならば、おそらくは、遊女の歌う節回しは、技巧の凝らされたものだったのでしょう。

 白拍子の「心をせめて」というのは、「自分の心を追いつめて」ということです。そして「ふまれけり」とは、「その思いに地団駄を踏むのだ」ということです。これは、白拍子が足拍子を踏む舞の所作が、特徴的であったことを思わせます。
 世阿弥の書いた「三道[さんどう]」の中に白拍子の舞の特徴として、「責めを踏む」ということばがあります【7】。「責め」は「拍子を責める」、つまり「もっと速くしろ」と責め立てること。そしてその拍子(テンポ)を、足拍子で踏んで責め上げて、速くする、ということでしょう【8】。 
 この歌においても、そうやって興奮を呼び起こしているように感じます。
 さらに続けて「つらしつらし」と同じことばを言い重ねることによって、辛さを強く訴えます。拍子もことばも責め立てていきます。実際に、白拍子の歌の歌詞を見ると、その句の最後の終わることばを繰り返す傾向が見られます。現代のポップスでも、ときおり、その曲の真ん中あたりで、中心(サビ)として、言葉の繰り返しがあります。そのように白拍子の末句(句の最後)の繰り返しも、強調の表現に使われているようです。それは、能の謡にも引き継がれました。

 遊女は憂いの中で、この世と心の中の世界を行きつ戻りつ、思いを内向的に表しているのに対して、白拍子は、自分の心を目覚めさせ、その思いを告白し、外へ外へと強く激しく、人に伝えているように表しています。

▼職人歌合で描かれる姿
では、絵をみていくことにしましょう。
「左」が遊女です。
 座っています。垂髪[すいはつ]【9】。結いあげずに垂らしたままの髪です。
 白小袖[しろこそで]に白の無紋の単[ひとえ]【10】を重ねています。緋(ひ。濃く明るい赤色。深紅色)の長袴。
 首から掛けているのは、萌黄錦糸[もえぎにしき]の懸守[かけまもり]。この袋の中に経本や神社の札を入れます。
 左手に鼓を持っています。

「右」が白拍子です。
 立っていて、舞う姿が描かれています。
 垂髪ですが、白い和紙でくくられています。
 白の水干[すいかん]。そこに、描絵がほどこされています。右の肩、右膝のあたりに赤い菊綴が二つずつ見えます。紅色の単が、両肩から少し見えていて、左足の水干の下から緋の長袴が見えています。
 右手には扇を持ち、そこに紅色で絵が描かれています。十本の折り沈めの扇【11】で、室町時代のものです。

 遊女も白拍子も長袴をはいています。これは野外で生活する人ではなく、家や邸で生活していたということを表しています。
 遊女の「月」の歌では、船の上に乗っている情景でしたが、絵に描かれている遊女は、平安末期に後白河院の邸に出入りをし、貴族たち同席して歌会をしていたという当時の、「ある地位を得ていた遊女の姿」ではないかと思われます【12】。そして、この絵でとても印象的なのが萌黄錦糸の懸守です。『梁塵秘抄』の歌詞の中では、さまざまな仏教の経典、そして菩薩、観音の名前、そして寺の名前、神社の神々の名前、神社名が歌われています。この懸守から推測されるに、遊女は、そこに自分が歌う神仏のなにがしかを入れて歌を歌う宗教歌手だったのではないでしょうか。
 それに対して、白拍子は立ち上がって舞っています。舞うために垂髪が邪魔にならないように、後ろでくくっています。その活発さが目立ちます。遊女が上に羽織った単には紋も絵もないのに比べ、白拍子の水干には描絵がほどこされ、華やかな感じがします。
 そして両者の眉をよく見ると、平安時代の作り眉のように太くはなく、細い。『徒然草』で紹介された白拍子は、烏帽子をかぶり、鞘巻をさし、もっと男性的であったのですが、この白拍子の絵では、とても女性的です。
 この絵が、鎌倉中期以降に描かれたものだからなのか、あるいは白拍子が時代を経て、女性的な歌舞に変わっていったのか、そのあたりはさらに考察を深める余地があります。

▼「七一番職人歌合」
 「七一番職人歌合」にも白拍子が一つの職種として取り上げられています【13】。
 七一番ということは、合計で142の職種が揚げられているということになります。それを、ざっと分類してご紹介しておきます。
 
<職工人>
 番匠[ばんしょう](大工)、鍛冶、壁塗り(塗装)、研[とぎ]、塗士[ぬし]、紺掻き[こんかき](藍染め・染め物)、筵[むしろ]打ち(筵編み職人)、炭焼き、弓作り、弦売り【14】、ゑた(皮打ち師)、瓦やき
<手工業製作者>
 機織り、車作り、筆結い(筆作り)、傘張り、檜物師【15】、烏帽子折り(烏帽子を作る人)、紙漉[かみすき]、土器[かわらけ]作り、轆轤師[ろくろし]【16】、草履作り、傘張り、あした作り(足下作り)【17】、御簾[みす]編み、唐紙師[からかみし]、佛師[ぶっし]【18】、経師[きょうし]【19】、鞠くくり(鞠をかがる職人)、沓[くつ]作り、針摺[はりすり](針をつくる)、念珠ひき(念珠を作る)、紅粉とき(化粧品の紅の製造)、鏡磨き[かがみとき](鏡を作る)、畳刺し、笠縫い、縫い物師、組師(組紐作り)、刷り師(印刷業)、つつらつくり【20】(葛籠造り)、かわこつくり(皮籠造り)【21】、矢細工【22】、箙細工[えびらさいく]【23】、蟇目[ひきめ]くり(鏑作り)、むかばきつくり (行膝つくり)【24】
<工芸職人>
 縫物師、檜皮葺[ひかわふき]、鎧細工[よろいざいく]、白銀細工[しろがねざいく]、はくうち(金箔を貼る)、玉磨[たますり]、硯切り(硯を彫る職人)、櫛ひき、鞘巻切り、鞍細工、金彫り、水かね(汞【25】)彫り、蒔絵師、絵師
<商人>
[食品]
 収穫販売……大原女[おはらめ]【26】、蛤売り、魚[いを]売り、苧[からむし]【27】売り
 生成食品販売……一文字売り(葱売り)
 加工食品販売……餅売り、饅頭売り、法論味噌[ほろみそ]【28】売り、たうふ売り(豆腐売り)、そうめん売り、麹[こうじ]売り、心太[ところてん]売り
 精製食品販売……こめうり、まめ売り、油売り、しほ(塩)売り
[物品]
 製造および加工販売……鍋売り、扇売り、帯売り、白い物うり【29】、挽入れ売り【30】、筆売り、ゆわうははき売り(硫黄帚[ほうき]うり)、灯心売り、枕売り、畳紙売り、白布売り、直垂[ひたたれ]売り、棉売り、薫物売り(練香、合香売り)、賽[さい]売り(さいころ売り)
<食品加工>
 酒作り、酢作り
<林業>
 山人[やまびと]【31】、木伐[きこ]り【32】
<漁業>
 浦人[うらびと]
<野外作業>
 草刈り
<飲食業>
 一服一銭[いっぷくいっせん]【33】、煎じ物売り(煎じ茶を売る)、包丁師、てうさい(調菜、調理人)
<仲介人>
 すあひ【34】、蔵まはり【35】
<スポーツ>
 競馬組み、相撲取り
<歌手>
 遊女、早歌謡[そうかうたひ]
<弾き語り>
 琵琶法師、女めくら【36】
<楽器演奏>
 楽人(宮廷楽師)
<舞踊家>
 舞人(宮廷舞踊家)
<芸能者>
 白拍子、曲舞々、放下[ほうか]【37】、鉢叩き、田楽、猿楽
<詩人>
 連歌師[れんがし]
<医療>
 医師[くすし]、薬売り
<祈祷師>
 陰陽師
<宗教者>
 いたか【38】、山伏[やまぶし]、持者(男巫)、禰宜[ねぎ]、巫[かんなき]、僧侶、禅宗、律家(律宗)、念仏宗、法花(法華)宗、比丘尼[びくに]、尼衆[にしう]、山法師、なら法師【39】、華厳宗、具舎宗
<サービス業>
 立君[たちぎみ]【40】、つじ君【41】、筏師(筏に乗って人・物を運搬する)
<特殊技能>
 通事[おさ](通訳)、文者[もんじゃ](学者)、弓とり(弓を持って務める武士)
<物乞い>
 暮露[ぼろ]

 など、平安時代の職種に、室町時代のものが加えられて、さまざまな職人たちが描かれています。
 この「七一番職人歌合」の四八番目に、白拍子が描かれています。白拍子は「右」に描かれて、その相手となる職人は「曲舞々[くせまいまい]」で「左」に描かれています。ともに歌い舞う女性で、上にあげた中では「芸能者」に入ります。
 この「七一番職人歌合」でも、「鶴岡放生会職人歌合」と同様に、左右ぞれぞれで「月」と「恋」が題材にされて、合わせて四首が詠まれています。

「七十一番歌合」より「四十九番 白拍子と曲舞々」早稲田大学図書館蔵

「七十一番歌合」より「四十九番 白拍子と曲舞々」早稲田大学図書館蔵

▼「月」の句
 まずは「左」の白拍子です。

 鼓うち みはやしけるも いちじるく 月にかなづる 白拍子かな

【現代語訳】鼓を打ってもてはやしたのも、とりわけ、はっきりと月に向かって拍子を取って舞う白拍子だなあ。 

 次に「右」の曲舞々です。

 曲舞の 月にはつらき 小倉山 その名かくれぬ 秋のもなかを

【現代語訳】「曲舞は、月にとっては、情け知らずの薄暗いという名の小倉(小暗[をぐら])山。暗いとは言っても、その名前は、かくれもなく有名なことだなあ」とあるが、そのように、かくれもなく月が照り映える秋の最中[もなか](中秋の名月)よ。 

 白拍子は鼓ではっきりと拍子をとって舞っているという、その舞の特徴が詠まれています。鼓の「囃子」と、「もてはやす」という意味の「見栄[みはや]し」を掛けています。
 曲舞々の歌では、最初に当時流行った歌「月にはつらき 小倉山、その名は かくれざりけり」があげられます。この「人に知れ渡っている歌」のように、隠れもせず月に照り映える。それが曲舞々だと歌われています。まさに、スポットライトを浴びた存在のようです。この歌では、歌や舞の内容ではなく、曲舞々という存在が歌われています。

▼「恋」の句
 まずは「左」の白拍子です。

 忘れ行く 人もむかしの 男舞 くるしかりける 恋のせめかな

【現代語訳】自分を忘れていく人よ、昔、私と馴染んだその男。男舞の「責め」のように、つらく切なかった恋の責めであることよ。

 次に「右」の曲舞々です。

 車にて 袖打ちふりし まひ女 かかる恋すと 人はしりきや

【現代語訳】(祇園祭)の山車の上で、袖を打ち降った舞女。このような恋をしていると、あの人は知っているであろうか。

 白拍子は男の舞をすると歌われています。しかし、「むかしの 男舞」、つまり「昔は男舞だったよなぁ」ということなので、この歌が歌われた時点では、男舞のようには見えなくなっていたのかもしれません。そして、やはり歌は終わりにつれて、だんだんと拍子が速くなって「責め」ていく。それは、男への恋を咎めるごとく、苦しくなっていく。拍子があがってゆく「責め」と、自分を忘れてゆく男を「咎(とが)める」意味の「せめ」の詞が掛けられています。
 曲舞々は、祇園祭の山車の上に乗って袖を降って舞うという、とても目立った活躍をしていたようです。「そんな有名な私があなたを慕っているなんて、あなた、知っているのかしら?」とスター気取りです。
 白拍子は男に忘れられ、苦しい歌舞をする。「男に忘れられ」というのは、人々にも忘れられた存在になっていったということかもしれません。一方で曲舞々は、自信に溢れた恋の表現となっている。おそらく室町時代になって、白拍子は影をひそめ、曲舞々こそが時代の花形になったということなのでしょう。

 そして「七一番職人歌合」には、それぞれの絵の上に、さらに歌【42】が書かれています。おそらくこのような歌を白拍子や、曲舞が歌っていたであろうという歌です。
 まずは「左」の白拍子です。

 所々に引く水は、山田の井戸の苗代【43】

 これは、現在では、狂言の「鳴子」【44】で歌われている狂言小歌【45】「いざ引く物を謡わんや 春の小田には 苗代引く 秋の田には鳴子引く」【46】に類似した歌です。狂言小歌の装飾的で優美な歌は、白拍子の歌から取り入れられたのかもしれません。
 次に「右」の曲舞々です。

 月にはつらき 小倉山、その名は かくれざりけり
 これは、「月」の歌で詠んだときに、もとになった歌です。白拍子と曲舞々の「月」の歌の判定をした「判詞[はんし]」には、下記のように結果がよせられています。
「『月にはつらき 小倉山、その名は かくれざりけり』という音頭を思よせたるにや。道によりてかしこければ、為勝[かちとす]」
 音頭とは、今でも盆踊りなどで「東京音頭」とあるように、多人数で踊る曲です。つまり、人々の知っている歌を、曲舞々の歌は思い出すと。そして「月」の歌の軍配は、「気が利いていて、優れているので、勝ちとします」と曲舞々の歌に上げられています。

 それでは、絵を見てみましょう。
 「左」の白拍子は、
 垂髪で太い作り眉。緋の長袴に桃色の小袖。
 後ろに水干かまたは何か上に着るものが脱ぎ捨てられています。
 右立て膝。右手に蝙蝠[かわほり]【47】。左そばに鼓。

 「右」の曲舞々は、
 垂髪に前折烏帽子[まえおりえぼし]【48】。
 細い作り眉。白拍子より女性的な印象になっています。
 白の葛布で作った葛袴。青の単。生地は、麻で出来た紗[しゃ]【49】。
 紅の小袖。あぐらで座る。右手に蝙蝠。左傍に鼓。

 垂髪。右手に扇。左傍に鼓と同じ姿でありながらも、その違いがよくわかります。もともと、白拍子の男装は、貴族の男性を真似た男装でした。しかし、曲舞々の出で立ちは、武士の真似をしています。男性の被り物である烏帽子も、曲舞々が被っているのは、武士の被る前折烏帽子です。青の単も、直垂[ひたたれ]【50】そのものとは、言い難いですが、直垂を真似てみようとアレンジしたようです。白拍子が平安時代の物腰と装いであるのに対して、曲舞々は、武士社会である室町時代の男装により近いことが表されています。

▼「職人歌合」というもの
 七一番職人歌合わせの142種類の職業を分類していく中で、これぞ当時の「都」という空間で、そこで人間が生きてゆくありようがその職業を通して感じることができました。
 人々が集まることによって「需要」が生まれ、それに対して、ものを作り、商売を始める人がでてくる。人々のさまざまな需要に対して、さまざまなものが作られて売られていく。その交換の流れから消費者文化が生まれます。そして一部の人々は売ることに専念して商人となり、商人が集まることで、さまざまな商品をひろげて販売をする場所「市[いち]」が開かれます。そこは、パフォーマンス(演芸)の空間にもなりました。
 権力者の住むところに、経済社会が生まれます。そして、さまざま専門職が生まれました。平安の京の都の繁栄はそうした専門職(職人)たちをも育てたのです。現代に白拍子グッズを揃えようと思っても、やはり京都の扇屋さん、烏帽子屋さん、装束屋さんにお世話になる必要があります。一方で、こうした職人さんたちの数も少なくなり、まさに職人文化が消えていっているというのも事実です。
 都には身一つでなんとか生きてゆこうという人たちがたくさんいました。芸能をする人々も、都が栄え「市」が活発であるがゆえに、そこに住したことでしょう。それぞれが、その芸能の特徴を見いだしたことで、人々はそれを認識し、興味も持ったのです。現代の視点でその姿を見れば、決して豊かとは言えないでしょうが、彼らの芸術性、歌も声も、演奏形態も演じ方、舞い方もそのような人間の熱気が息づく「都」で育まれ、その個性を花咲かせたのだと思います。
 そして白拍子もそうした「都の花」の一つだったのです。

▼「職人歌合」における「白拍子」のまとめ
 鎌倉中期にできたといわれる「鶴岡放生会職人歌合」。そこでは、遊女と白拍子が比べられました。遊女は、どこか暗い感じのする不安定で憂いのある内向的な人として歌われています。白拍子は、たとえ切ない思いがあったとしても、それをはっきりと拍子を数えるように、そして高い声で歌います。そしてそこには舞がついていて、足を踏み拍子を上げてクライマックスを作り上げます。白拍子は表舞台、遊女はその影のような存在であるようなイメージでした。
「足を踏む」というのは、前回述べました、白拍子以前に内教坊で行なわれていた「踏歌」を思い出します。「踏歌」の足踏みは、雅楽や、倭歌[やまとうた]で舞われるもの、あるいは、沖縄の女たちの踊る「シヌグ舞」のように、みんなで輪になって、土草を踏むように、どこかのどかで、おおらかなものを思い起こさせます。しかし、白拍子の歌の中の「踏む」は、地団駄を踏むような、何か責めを負うような激しさ、厳しさがあり、それは現代の能の「激しい足拍子」を感じさせるものでした。

 そして室町中期にできた「七一番職人歌合」。ここで白拍子は、男舞、鼓を打って数えるように歌う、というその特徴は描かれてはいるものの、新たに出現した曲舞々という芸能者に取って代わられています。曲舞々は、多くの人に知られるスターのような存在で、白拍子は、彼女たちの台頭に押し出されていったということがそこにうかがえました。
 しかし、白拍子よりも遊女が、曲舞々よりも白拍子が、新たに登場する芸能者よりも古参が、いつも美しい装飾的な旋律を歌います。これは時代を経た歌の成熟したありようなのかもしれません。
 平安後期には、高位な貴族や武士の寵愛を受けて、一斉を風靡した白拍子。それが、鎌倉、室町と、次第に時代の波に消えてゆくありさまがそこに見受けられます。

「歌合」においては歌詞からはもちろん、白拍子や遊女、曲舞々が描かれている姿から彼女たちが発している意味や象徴が見て取れます。衣装には決まり事があったわけでも、制服があったわけでもありません。個人の好み、アレンジもあったことでしょう。しかし、現代でも、ある人がヘヴィメタのミュージシャンなのか、レゲエなのか、ヒップ・ホップのラッパーなのかは、服装を見ればわかる。そのように、出で立ちはその音楽の歴史、込められたメッセージを表しています。
 ですから、それを汲み取っていくことで、当時の芸能者が、その音楽や舞で、何を表現したかったのかもより具体的に見えてくると思われます。

▼最後に
 さて、現代の職業で試みに「歌合」をしてみましょう。似ているけれども異なる者を並べるというのが決まりですので、ここではファースト・フードの店員さんとコンビニの店員さんを並べて、それぞれ「月」を入れて、歌い比べてみました。

 一番 
「左」ファースト・フードの店員
 [歌]ラスト終え 終電に乗る 月夜かな
「右」コンビニの店員
 [歌]終電に 寄る人を待つ 月夜かな

ともに「月夜」そして、「終電」も入ってしまいました。しかし「月」という普遍的な題材を入れることで、かえって、その職業人の生活、人生が見えてくるようで興味深いです。「職人歌合」というものも、さまざまな職種のさまざまな人生を浮かび上がらせる、「人生図鑑」のようなものだったのかもしれません。

■注一覧

[1]神事と言ってもよい。多くの人が集まり行なわれる。
[2]歳を取ったおじいさん。
[3]平安時代に成立した。ストーリーを展開しながら歌や踊り、演奏が付けられる。それを行なう芸能者。
[4]平安時代中頃に成立。田植えのときに豊穣を願って歌い、踊られたが、後に歌と踊りが独立して演じられるようにもなった。それを行なう芸能者。
[5]笛、小鼓、大鼓による楽器演奏曲の形式の一つ。
[6]植木朝子「舞の系譜・白拍子と曲舞――能「祇王」から」(『芸能伝承の世界』講座日本の伝承文学、第六巻、三弥井書店、1999)、石黒吉次郎「白拍子をめぐる二三の問題」(『専修国文』55号、1967年1月)、金井清光『能の研究』(桜楓社、1972)
[7]世阿弥『三道』より「三体作書条々」。
[8]現在の能では使われていない言葉である。また現在、雅楽で「セメ」というと「1オクターブ上」という意味。今日の能や雅楽の現場で「責め」を「拍子を速くする」と解釈することはない。しかし、白拍子を題材とする論文においては、ほとんどが「責め」は、「急な調子に上げてゆく」という解釈をしている。
[9]結い上げずに垂らしたままの髪。
[10]裏を付けないで仕立てた衣。
[11]平安期の扇は、骨が五本の蝙蝠[かわほり]。10本の折り沈めは室町期以降だろうか。鎌倉中期からあったかどうかは不明。
[12]公式行事のあとの宴会に参列していた。脇田晴子『女性芸能の源流――傀儡子・曲舞・白拍子』(角川書店、2001年)。
[13]奥書によれば、「延喜元(901)年に底本(原本)がある」と記述し、その余白に柴山広豊(1673‐1723)によって、「室町時代の絵師、土佐光国(1434‐1525)、歌人、甘露寺親長(1424‐1500)、書家、東坊城和長(1460‐1529)によって書かれた」とある。北小路健『職人尽歌合』攷(国書刊行会、1974[版本文庫])。
[14]弓を張る弦[つる]。
[15]檜[ひのき]の薄板を円形に曲げて器を作る。
[16]絵の職人は、布、また縄を轆轤を回してひいている。
[17]絵の職人は、下駄の足底に貼る皮などを接着する加工をしている。
[18]仏教用品の製作。
[19]経文を巻物にしたてる職人
[20]竹や檜の薄板で籠を編み、上に紙を貼って柿渋[かきしぶ]や、漆を塗る。
[21]竹や籐[とう]で編み、上に皮を貼ったふた付きの箱。
[22]矢を入れる容器を葛藤[つづらふじ]の蔓や、竹で編む。
[23]矢を入れる容器、矢を入れる箱と、矢を寄せかける端手[はたて]に緒をつけて腰に結ぶ。
[24]絵の職人は鹿の皮で、両足の覆いを作っている。武士の騎馬遠行の必需品。
[25]アマルガム。
[26]京都の大原、八瀬から、しば、薪、花などを頭に載せて売る女性。「七一番職人歌合」の場合は、薪を売る姿が描かれている。
[27]イラクサ科の雑草。丈夫な繊維が取れ、織物に使われる。
[28]南都元興寺の僧侶が用いた。白みそと赤みそを等分にしてみりんで練り、からしを、サンショウ、クルミ、砂糖を加える。
[29]白粉[おしろい]。化粧品。
[30]轆轤[ろくろ]で引いた椀。
[31]山の中の仕事、きこり、炭焼き、猟など、自給自足をする。
[32]山林の木を切りだすひと。
[33]お茶を一服出して一銭をもらう。
[34]衣類・反物の仲買人。のち、売春もした。
[35]歌からすると衣類のリサイクリング業者。
[36]絵では、鼓を自ら打って歌っている。
[37]田楽から発生した大道芸。曲芸・手品などを演じる。
[38]小さな板の卒塔婆に、経文や戒名を書く。
[39]東大寺、興福寺の僧。
[40]路上に立ち、男性の客を引いて売春する。
[41]あらたに作られた小路に軒を連ねて客をひいて売春をする。
[42]口上という。
[43]田植えの前に、稲の種を撒いて、苗を育てる場所。
[44]田を荒らす鳥の群れを追い払うように主人に命じられた太郎冠者と次郎冠者の話。農業の予祝をする番組。
[45]自由なリズム「拍子合ワズ」で歌われる。「ユリ」という旋律やポルタメントを多用した装飾的で優美な謡。
[46]小林芳規他 校注『梁塵秘抄 閑吟集 狂言歌謡』(新 日本古典文学大系、岩波書店、1993)
[47]骨が五本の平安期の扇子。
[48]立烏帽子に対して、烏帽子に折りを入れて、その頂点を前に出す。武士の被る烏帽子になった。
[49]うすぎぬ。夏物。
[50]鎌倉時代後期には水干に代わって武士の代表的な衣服となり、さらに室町時代には礼装として用いられるようになった装束。

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桜井真樹子(さくらい・まきこ)

作曲家・ヴォーカリスト(天台声明)・パフォーマー(白拍子)

天台宗大原流声明を中山玄晋に師事。龍笛を芝祐靖に師事。
1994年ACC(アジア文化交流基金)、2000年ヘレン・ウォーリッツアー財団の奨学金を得て渡米、ナバホ、ホピ、タオス・プエブロの音楽を研究。
2009年イスラエル政府の奨学金を得て、イスラエルにてイエメン系ユダヤ人の歌謡「ディワン」をギーラ・ベシャリに師事。
平安時代の女性歌謡と舞踊の復曲と創作活動、「水猿曲(みずのえんきょく)」「蓬莱山」「しずやしず」「鬢多々良」「丹生の翁」などを発表。
創作能の原作・脚本「かぐや姫」(2006)「マンハッタン翁」(2007~2013)「水軍女王」(2009,2013)「刀塚」(2010)「岸辺の大臣」(2014)。こけし浄瑠璃「はなこのおむこさん」(2011,2013)の原作・脚本を手がける。

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