第四回 ダンサー大前さんの幻肢


 今回は、「記憶と体」というテーマについて考えるうえで絶対にはずすことのできない現象について扱いたいと思います。その現象とは「幻肢」です。
 「幻肢」とは、手や足を切断した人が、ないはずの手や足の存在を感じる現象です。英語ではphantom limb、つまり幽霊のような四肢。私の物理的な体に、もうひとつの体がとりついている状態です。
 「幻肢」に相当する現象の報告は古くからありますが、初めて名前をつけられたのは19世紀のことです。南北線戦争でたくさんの兵士たちが負傷し、外科医たちは抗生物質もないまま手や足を切断しました。帰郷してもなお、その兵士たちが自分の手足のことを語るのを見て、医師ワイアー・ミッチェルが名付けたのです。これ以降、もっぱら医学の分野を中心に、そのメカニズムや治療法をめぐって研究がすすめられてきました★1
 幻肢が特に問題になるのは、それがしばしば痛み、すなわち「幻肢痛」を伴うからです。その痛みは、ときに自殺を考えたくなるほどの激しさと言われ、医者たちは対処に苦慮してきました。本当の身体部位に起こる痛みでも治すのが難しいのに、存在しない部位の痛みを治すのですから、簡単ではありません。
 今回は、15年前に交通事故で左足膝下を切断し、下腿義足を使用している大前光市さんの幻肢について扱いたいと思います。大前さんは、2016年のリオパラリンピック閉会式で素晴らしいパフォーマンスを披露したことでも知られるプロのダンサーです。現在は痛みはありませんが、ふだんの生活のなかで、あるいはダンスを踊りながら、確かに幻肢の存在を感じているといいます。
 幻肢は、過去と現在が交錯する場です。過去の自分と現在の自分、その二重化した身体と、どのようにつきあっているのか。ダンサーならではの鋭敏な身体意識がそこに加わり、幻と現実が互いに互いを利用しあうような、不思議な関係が生まれます。

オートマ制御からマニュアル制御へ

 人生の途中で障害を得ることは、体の運営体制が、それまでとは全く別のものに変わることを意味します。この変化を一言で言うなら、「オートマ制御からマニュアル制御への移行」ということになるでしょう。つまり、それまで特に意識せずにできていた、立つ・歩く・見る・話す、といった動作を、意識的に調節しながら行わなければならなくなるのです。
 そのことについて、大前さんはこんなふうに語っています。「向こうで『はい集合!』と言われたら、ふつうの人は無意識に『はーい』と行くけど、ぼくらは『分かった、ちょっと待ってね』って、足をはめたり、車椅子にのったり、姿勢をととのえたり、順番があって、ひとつひとつ意識してやるわけです。みんな、めんどくさいことをしてます」。
 大前さんがここで「めんどくさい」と述べているように、行為がマニュアル化するとは、手順が増えることを意味します。身体がオートマで制御できている健常者の場合、「集合!」と言われたら、「行く」という意識さえ持てばよい。手順は実質一つで、あとは放っておいても体がついていきます。ところが障害があると、義足の装着や車椅子への移動といったタスクが増えるだけでなく、体を動かすときの姿勢や重心の位置、その場所に至るまでの動線などを、適切な順番に従って、ひとつひとつ意識しなければならない。「行く」という大目標をたくさんの小目標に分割し、一段一段クリアしなければならなくなる。大前さんが言うように、「体に障害を持っていると言われている人に共通しているのは、意識する部分が多い」ということです。
 手順を増やしてマニュアルで制御するというと、「めんどくささ」さえ我慢すればいいように思われるかもしれません。しかし実際には、これは作業としても非常に難易度が高いものです。何せそれまではオートマで制御できていたことなのですから、やり方を意識するといっても、そもそも不可能に近い相談です。たとえば「歩く」にしても、「歩くことができる」ことと「どうやって歩いているかを説明できる」ことは全くの別物でしょう。以前、脳梗塞を発症して3年半経つ女性が、その苦労をこう口にしていました。「言葉が違っているかもしれないですが、『暗黙知』みたいなもの、何も考えずにできていたことが、何もできなくなって、そのやり方すら忘れているんですよね。『健側(左側)が模範生だから、それをよく見て、工夫してやりなさい』とか言われるんですけど、工夫できたらこんな苦労していないです」。
 もちろん、障害を得てから長い年数が経てば、意識しなければ制御できなかった動作が次第にオートマ化する、ということもあるでしょう。いわゆる「慣れ」です。けれども社会的な環境が健常者向けにデザインされている以上、環境と自分の体を埋めるための調整は、多かれ少なかれ残るでしょう。大前さんが左足膝下を切断したのは23歳のとき。インタビュー時で事故から15年が経ち、意識せずとも動かせる領域が増えたといいますが、それでも調整は必要だと言います。年齢による体の状態の変化も、調整を要する要因のひとつでしょう。
 とはいえ、そこはダンサー。マニュアル的に体を制御する感覚に非常に敏感であるのに加え、求道的なまでに体を鍛えるプロとしてのストイックさがあります。結果として、現在の大前さんの左足の断端(切断部)は、一般の切断者にくらべて硬く、筋肉で覆われています。

足を積極的に使う

 もっとも、左足を切断した当初は、大前さんも自分の足を「甘やかしていた」と言います。「椅子から立ちあがるときも、足に負担をかけないように、まず肘掛に手をついて、それから上半身で立つ、というような癖がついてしまっていた。上半身主導の使い方だったんです」。誰だって、痛いところや不自由なところがあれば、そこをかばうように動くものです。大前さんも、切断した直後は、足に体重をかけないような動き方になっていた。その結果、徐々に上半身が変化していったと言います。「義足側に負担がかからないようにするので、上半身がものすごい発達したんです。今も発達していますが、20代後半まではもっとゴツくて(…)上半身と下半身という別のものが組み合わさっている感じでした」。
 しかし大前さんは、それではダメだと感じた。足に力がないので、バランスを崩しやすかったからです。「腕の三倍の力が足にはある。だから足がエンジンになって、それを主導にして、器用なことは上半身でする、というのが基本的な人のつくりだとぼくは思っています」。そこで大前さんは、上半身だけで動くことをやめ、足を含めた全身で動くように体と使い方を変え始めました。「今は(…)下半身も使うようにしています。立ちあがるにしても、足をついて足で立つ。そうしたら動きが安定してきました。ぼくの場合は下半身は動くのですが、その機能を甘やかしていたんです。義足も硬いものに変えて、足を使うということをしようとし始めました」。
 つまり大前さんのマニュアル制御への移行は、二つの段階があったことになります。当初の移行は、不自由な部分をかばい、痛みや困難をやりすごすための「対症療法」的なものでした。ところが30歳ころから、大前さんは積極的に左足をきたえ、全身のバランスを組み替える「原因治療」を始めます。その成果が、あの硬く筋肉をまとった断端【だんたん】なのです。全身に対する意識を高めた結果、踊る技術も向上したと言います。「ダンスに関しては、義足になってからのほうが断然うまいです。義足になって10年目くらいから、コンクールでタイトルをとれるようになったんです。使い方を意識するようになって、やっと上手くなってきたんです」。

幻肢の指

 さて、いよいよ幻肢の話に移りましょう。
 大前さんの幻肢は、「にぎりこぶしくらいのちっちゃい足が、断端のところにくっついてる感じ」だと言います。幻肢というと、もとの大きさの足がもとあった場所についているというイメージがあるかもしれませんが、大前さんにとってはそうではないそう★2。legに相当するふくらはぎの部分がなく、ひざ下にいきなりfootの部分がついているかたちです。しかもそのfootは、まるでドラえもんの手のような小さな固まりです。形状としてはもとの足とは似ても似つかない幽霊の足。不在の足が蜃気楼のようにかつてあった場所にあらわれるわけではないのです。
 それにしてもなぜ、見えないにもかかわらず、その足が「小さい」と分かるのか。15年経ち、かつて使っていた足の記憶が弱まった結果なのか。その理由を尋ねたところ、大前さんは一言でこう説明してくれました。「動かせないからです」。「動かそう」と思う。しかし思ったようには「動かない」。つまりインタビュー当時の大前さんにとっての幻肢は、「形」としてではなく「運動司令」との関係で存在しているということがわかります。記憶として残るのは、「私の体はこういう形をしていた」というフォルムの基準ではなく、「私の体はこういうふうに動くはずだ」という運動の基準なのです★3
 その証拠に、大前さんの幻肢の感覚は5本の指がベースになっています。「断端の先っちょが丸くなってて、親指、人差し指、中指…っていうのが、ちょん、ちょん、ちょん、ってついている感じです」。大前さんは、足の指を開いて「パー」を作ることが、かつて左足でできたし、今も右足はできる。だからこそ、指という足のなかで比較的よく動く部位についての位置感覚が、幻肢に残っていると考えられます。「丸い足で、『このへん親指だよね』『このへん人差し指だよね』という感覚がする」。「指を動かそう」という意識と「指が動かない」という現実、ぶつかりあう二つのベクトルを調停した結果が、「丸い足に指がちょん、ちょん」というイメージであると考えられます。(この仮説からすると、私のように足の指が開かない人が切断した場合は、指の感覚はないのかもしれません)

足裏をキュッと丸める感覚

 では実際に運動をするとき、幻の「ちっちゃな足」はどうなっているのか。たとえば大前さんは、ダンスの公演のなかで、義足をはめた左足で片足立ちをすることがあります。義足をはめているとき、断端全体は義足のソケット部分にすっぽりはまっていることになりますが、そのとき、ソケットの中で幻肢はどうなっているのでしょうか。
 一般に、「足の裏はお椀を返したように丸めた形に力を入れるとバランスがとりやすい」と大前さんは言います。「足の裏をお椀のようにする」ためには、足の親指の裏から小指の裏までの5点、さらにはかかと裏の内側や外側といったfootの外周の部分に力を入れる必要があります。そうすることで、土踏まずのあたりが地面から浮くようになり、姿勢が安定するのです。研究熱心な大前さんはさらに続けます。「土踏まずが使えると、腿の裏側が使えるようになるんですよね。そうすると体がうまいこと連動してくるんです」。
 さて大前さんの場合、右足はそのように使うことができる。しかし切断した左足には「足の裏」に相当する部分がありません。どうするのか。曰く、「同じように、左足も、そうはならないけどそういうふうに意識してキュッと丸めるような使い方・・・をしています」。つまり大前さんは、事故前に足裏を使っていたときの動かす感覚の記憶を、足裏の存在しない左足の切断部分にあてはめるような仕方で、意識をしているのです。もちろん、ないものを使おうとしたって、物理的にはそのように体は動きません。大前さんも言うように、「キュッと丸める」意識を持ったとしても、それに応じて物理的に丸まる身体的な対応部位はありません。
 興味深いのは、にもかかわらず大前さんが「足裏をキュッと丸める感覚」を意識できているということです。もし、この「足裏をキュッと丸める」を頭の中に文章として思い浮かべるのであれば、体がどのような状態であれ、それは可能です。しかし大前さんが「足裏をキュッと丸める」と言うとき、それは単に文章として思い描いているのではありません。「キュッと丸めるような使い方」という表現から明らかなように、少なくとも体の感覚としては「足裏をキュッと丸める感じ」があるのです。
 「足裏をキュッと丸める感じ」が成立するためには、「足裏をキュッと丸めよ」という命令が何らかの形で引き受けられている必要があります。実際に足裏がない以上、これを引き受けているのは幻肢以外にはありえません。先に確認したとおり、「キュッと丸める」ためには、足の指やかかとに力を入れる必要があります。そして大前さんの幻肢は、まさに「ちょん、ちょん、ちょん」という「指」を持っていました。大前さんが「足裏をキュッと丸めよう」と意識するとき、大前さんはいわば幻肢の指に力を入れていることになります。幻だとしてもこの指を動かす感覚があるからこそ、「足裏をキュッと丸める感覚」を大前さんは意識できていたと考えられます。
 興味深いのは、おそらくこうした「幻の指を動かす」経験を積み重ねた結果、物理的にも、大前さんの体が鍛えられているということです。幻の指であっても、力を入れれば、つられて近くの筋肉が動きます。先ほどお話したように、大前さんの断端は、一般の切断者に比べて硬く、筋肉に覆われています。この例外的な筋肉は、大前さんが意識して、以前と同じように左足を使おうとしたからに他なりません。

器用と機能

 このように大前さんは、切断した左足を積極的に使うことによって、ある意味では右足を超える足を手にいれたと言えます。そのことを大前さんは、「器用さ」と表現します。左足は、右足よりも「器用」なのです。
「器用と機能は違う」と大前さんは言います。「『器用』と『機能』はちょっと違う。左足は常に意識しているから、筋肉も敏感になってるんです。そうすると、細かいことができる。たとえばすぐに力が入ったりとかできるんです。右足は力はあるけど器用じゃない」。確かに「機能」の数で言えば、右足のほうが圧倒的に有利です。落ちた物を足指で拾う、というようなことは左足にはできません。けれども常にマニュアルで制御しなければならないからこそ、左足は意識して動かせる精度が高まったといえます。「ここをこう動かそう」「ここにこう力を入れよう」と意識すれば、細かい動きでも左足はきちんと応じてくれる。それが、大前さんの言う「器用さ」でしょう。
 しかしそれは言い換えれば、「左足を使いこなす」感覚です。大前さんは断端の先にある義足を「使いこなしている」のであり、義足は身体感覚としてもやはり自分の体の一部ではないのです。「どこまで行っても左足は『道具』なんですよね。道具を使っているという感じ。足の先についている道具の使い方がうまくなっている感じです。たとえば手の先に竹馬みたいなのが生えていたら、『ここらへんを押そう』とか意識的になりますよね。そんな感じです。『さぁて今日も杖を使おうか』みたいな感じです(笑)」。
 道具を使う器用な側とは、端的に言って「利き足」です。興味深いことに、大前さんは足の切断によって「左」と「右」が入れ替わったと言います。大前さんの利き足は、切断前は右足でした。けれども今では、マニュアルで制御する訓練を重ねた結果、左足のほうが器用になり、利き足という位置付けになっている。逆に右足は、パワーがあるので支える役目を果たすことになります。「お茶碗とお箸が入れ替わりました」と大前さんは言います。
 ふつう「利き手交換」というと、利き手に麻痺や切断があったときに、残っている手を利き手として使えるように訓練することを言います。ところが、大前さんの場合は逆です。切断したのは利き足でなかった方の足ですから、ふつうは利き足を交換する必要はありません。にもかかわらず、大前さんの左足は右足に勝る器用さを獲得し、利き足としての地位を奪ったことになります。
 もっとも、大前さんの場合は、切断したのが手ではなく足である、という事情も大きいでしょう。足は、手と違って重さを支えるという重要な役割を持った器官です。身の安全に直結するこの役割を右足が中心的に担う必要が生じ、左足が利き足化した、ということも考えられます。
 いずれにせよ、「オートマ制御のマニュアル制御化」という中途障害では誰もが経験する大きな変化が、大前さんの場合には、ダンサーならではの意識の敏感さによって、きわめて高いマニュアル制御精度の獲得につながったといえます。そして、この「動かそう」というマニュアル制御の感覚に、幻肢が密接に関係していると推測されます。

★1 V・S・ラマチャンドラン&S・ブレイクスリー(山下篤子訳)『脳のなかの幽霊』、角川文庫、2011年、55頁
★2 幻肢のサイズに関しては、手に関して、切断後に徐々に短くなっていくといくように感じるという報告があります。
https://ctejapan.com/message/m62.html
★3 最新の研究によれば、幻肢痛の原因は、「幻肢を動かせないこと」(脳内で、運動表象をつくれないこと)にあるとされています。以下のページでは、ヴァーチャルリアリティシステムを利用してこれを克服する方法が提案されています。
http://www.u-tokyo.ac.jp/ja/utokyo-research/research-news/effective-rehabilitation-of-phantom-limb-pain-with-virtual-reality.html

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伊藤亜紗(いとう・あさ)

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。もともとは生物学者を目指していたが、大学三年次に文転。2010年に東京大学大学院博士課程を単位取得のうえ退学。同年、博士号を取得(文学)。著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版)がある。同時並行して、作品の制作にもたずさわる。

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