第四回 「私」の始まりと終わりを見つめる―― 井上ウィマラ


人生の原風景

 農家に生まれた私が7歳になるかならないかくらいのことだったと思う。朝早くまだ肌寒い納屋の中にぽつんとひとり立っていた私は、板壁の隙間から差し込んでくる幾筋かの朝日の光線の中でチリがキラキラと輝いているのを眺めていた。私はそれを見つめながら、ふと星空を思い浮かべた。その頃はまだ周囲に家も街灯も少なく、夜空がきれいで、たくさんの星や天の河がきれいに見えていた。
 ふと、「夜空のお星さまと、朝日の中で輝きながら踊っているものとは、もしかしたら同じものかもしれない……」と思った。ポケットに突っ込んだ手の指先に何かくっついているのを感じた。確かめてみると、指先の爪に小さな塵がついていた。
 指先の小さな塵、朝日の中で輝くチリ、夜空に瞬く星。
「もしかしたら、指先の小さな塵の中にも、夜空と同じくらい大きな空が広がっていて、そこには星が輝いているのかもしれない……」と思った。“星空”と、“朝日に輝く塵を見ている自分”と、“指先の小さな塵の中に広がる星空”という三つの世界をつなぐ何かを見つけることができたら、僕はきっと自由になることができるだろうと感じた。

 それは、言葉にすることのできない瞬間的なイメージ体験のようなものではなかったかと思う。今からふりかえってみると、宇宙空間と日常の現実世界と素粒子レベルの微細な世界という三つの世界を貫く真理を洞察すれば、生きることの苦しみから自由になれるかもしれないという切ない願いだったようにも思える。
 その頃の私は、自分の存在をとても重苦しく感じていた。すべてがノロノロと遅くて、どうして自分はこんな思うようにいかない世界に生まれてきてしまったのだろうと感じていたように思う。自分が以前にいたところでは、すべてのものごとがもっと速やかに思い通りになる世界であったように思えた。
 今となってみれば、それは自我の確立に伴うナルシシズムの残響であって、思うようにならない人生のそんな部分にこそ、生かされていることの深い味わいと学びの機会が隠されていると思える余裕も得られるようになったのだが、その頃の私は、少しでも早くその重苦しさや苦しみから自由になりたいと思うばかりだった。
 それ以来、このイメージは、私が何をしているときでも、岐路に立った自分を導いてきてくれたように思う。
 私が小さな頃から憧れてきたもの。科学者、哲学者、革命家、出家修行者……。そして今は、思うようにならない日常生活の中に瞑想の本質を生かそうとする実践家。
 そうした憧れのどの要素にチャレンジしている自分も、ふと気がつくと小さな頃に出会ったあの原風景に導かれながら、手探りで人生を歩み続けているという実感がある。

瞑想の風景

 1987年の夏、ビルマに渡った私は、ラングーンのチャミ・イェッツァ・メディテーション・センターでヴィパッサナー瞑想の集中的なトレーニングに入った。朝4時の起床から夜10時の就寝時間まで、その時々のありのままの呼吸を見つめることを基本として、食事やトイレ、洗面や沐浴を含むすべての生活行為を丁寧に自覚してゆくことが目的となった。
 そのためにあらゆる行為の速度をゆっくりと落として、一つひとつの動作に意識を集中し、そこある心身の連関を観察するように指導された。本や新聞などを読むこと、日記を書くことなども禁じられ、師匠とのインタビュー形式による瞑想指導の時間を除いて沈黙を守りながらただひたすらに見つめ続ける毎日が始まった。
 最初の二週間くらいは旅の疲れや慣れない暑さで眠気やだるさに悩まされた。特に午後の時間はつらくて、坐ってはいても瞑想しているのか寝ているのかわからず、身体もふらふらとして自分の身体とはとても思えないほどだった。しかし、溜まっていた疲れが出きって、体調も整ってくるようになると、自然に2時間3時間と長い時間坐ることができるようになった。
 基本的には1時間坐って、1時間歩くことを繰り返すのだが、自然に1時間以上坐れるようになると無理なく坐っていられるだけ長く坐ることが許される。日本の曹洞宗で坐禅を修行していたときには結跏趺坐が基本であったため、どんなに頑張っても2時間が限度であったが、ビルマでは足を重ねない胡坐で坐ることが勧められていたため、一度に集中して坐れる時間はどんどんと長くなっていった。

ビルマの少年僧ビルマの少年僧

 坐る瞑想では、おなかのふくらみ凹みを感じながら呼吸を見つめる。鼻腔から出入りする出息・入息の感覚を見つめてもよい。大切なことは、息をコントロールしたり、数えたりするのではなく、その時々によって微妙に異なる一回一回の呼吸の長短や深浅の感覚を実感し、見つめてゆくことだ。
 最初のうちは、なかなか呼吸に心が集中せず、いろいろな思いが湧いてくる。その事実を否定せずに受けとめながら、何を思い出しているのか、何を考えたのか、どう感じているのかなどをありのままに自覚し受容してゆくように指導される。そうした思考や感情などを雑念として邪魔者にするのではなく、大空に雲が湧き上がっては消えて行くのを見つめるように見守ってゆく感じだ。そしてまた、呼吸に戻る。
 こうした七転び八起きを繰り返しているうちに、ある程度落ち着いて心が呼吸に向けられるようになると、呼吸も自然と静に深くなってゆく。身体と心、呼吸の感覚とそれを見つめる意識とがぴったりと一体になってゆく感じだ。
 それでも呼吸は、また短く浅くなったり、長く深くなったりを繰り返す。身体の姿勢も、自然に背筋が伸びたり、だるく疲れて屈んできたりを繰り返す。

 ある時のこと、私は自分の身体が相当に揺れているように感じられて「これではだめだ」と思えてきて、師匠に「身体が動いて困るから見ていてくれませんか」とお願いしたことがあった。師匠は、「そうか、それではそこに坐っていなさい」と言って、デスクワークを始めてしまった。
 私がその坐を解いてみると2時間ほど経過していた。「どうでしたか?」と尋ねると、師匠は「大丈夫、動いていなかったよ」と微笑んだ。私はなんとなくホッとして、「完全に不動で坐らねばならない」という先入観に囚われていたのだということに気づいた。
 多分、私の身体は外から見ると少しは動いていたに違いない。しかしそれは、坐禅の姿勢が保たれた一定の範囲内のことであって、内観的に身体の微妙な動きが自覚できている限り、そして坐禅の行為以外の動きに移ってしまわない限り大丈夫なのだ。
 こうして私は、思考や感情のエネルギーを身体全体で体験しきってゆく基盤を教えてもらったように思う。

不思議ないたずら

 ある日のお昼前のこと、いつものように目を閉じて坐っていると、突然目の前にビルマ風な装束をまとった精霊のような神様のようなものがやってきて、私の目の前に手洗い桶が現れ、その精霊が私の手の上に水をたらしはじめた。ビルマでは手で食事を取るため、食事の前に右手を洗う習慣がある。その水が触れる感触があまりにリアルであったため、私は思わず驚いて目を開けてしまった。すると、そこにはいつもと同じ瞑想道場の風景が広がっているだけだった。
 夢を見ていたのかもしれないとも思っては見たが、あまりのリアルさに受け流すことができず、インタビューのときに師匠に話してみた。師匠は、微笑みながら聞き終わると、「ほう、そんなことがあるのかもしれないけれど、そのように見えたり、そのように感じたりしたのであれば、そのように知って(自覚して)おきなさい」と応えてくれた。

 ビルマの食事は油や香辛料が多く使われていて味も濃いのだが、汗や体臭は反対に薄くなっていくような気がして不思議だった。夢精が起こる間隔も次第に長くなり、そのときに見る夢の内容も次第に性的なニュアンスが薄まり、最後のほうには「おしっこがしたくて古くて臭い小学校のトイレに駆け込んだけれども間に合わずお漏らししてしまった……」という夢を見て、目が覚めてみたら夢精だったという具合になっていった。
 今でも私はビルマをスピリチュアルな第二の母国であると思っているのだが、その頃の私はビルマ人だけではなくて、ビルマのいろいろな存在に見守られ応援されながら瞑想修行に励んでいたのだと思う。

底が抜ける体験

 歩く瞑想では、瞑想道場の横幅を使って、10~15メートルほどの距離をゆっくりと直線的に往復しながら、足の裏の感覚を中心として、歩くという動作に注意を向けてゆく。
 集中力が高まって、足の裏が床に触れる微細な感覚が手に取るようにわかるようになると、10メートル進むだけで45分くらいかかってしまうこともある。非常にわずかな動きの中に、数え切れないほどの心の働きと身体の働きとが絡まりあっていることが分かる。無理してゆっくり歩いているというのではなく、見えてくる現象のあまりの興味深さに気づいてみたら時間が経ってしまっていたという感じだ。
 そんな微細な身体感覚を見つめているうちに、自分が雲の上を歩いているような錯覚に陥り、「あっ、落ちてしまう……」と冷や汗が出そうになったことがあった。足の裏が床に触れる感触のバイブレーションに雲のようなイメージが重なったからなのだろう。あらためて立ち止まって、自分の身体全体を感じてみると、そこにも雲のようなバイブレーションがある。雲の上を歩いている自分の身体も雲からできていたのだと思えると、「雲から落ちてしまうのでは……」という不安は消えていった。

 坐る瞑想の中でも、呼吸の微細な感覚を深く見つめているうちに突然身体が消えてしまい、びっくりして目を開けて両手で身体のあちらこちらに触って身体があることを確かめて安心するという経験があった。
 微細な身体感覚のバイブレーションを見つめることに慣れ親しむに連れて、ある一定の形態やイメージによって構成された「私の身体」という思い込みが緩んでゆくのだろう。
 身体が消えてしまうような気がすることに慣れてしまうと、意識や心だけの世界の広がりの中で安らげるようになる。何かの音が聞こえたりすると、即座に空間的概念が形成され、「後方右45度の方向30メートルほどの所にある木にとまったカラスが鳴いている……」といった位置感覚が生まれてくるのがよくわかる。そして、そうした空間的概念や位置感覚の背後には、「いつも世界の中心にいる“私”」という思いが潜んでいることもわかってきた。
 身体を介した外界の刺激から心が解放されている時には、空間概念が薄れ、自分がどこにいてどちらを向いているのかなどということをすっかり忘れて、意識や心の流れの中にただあることを感じているだけのような状態になる。そして、そうした意識の流れが有ることにも無いことにも囚われずに、ただその流れを見つめ続ける静けさの中に安らげるようになる。

胸突き八丁

 しかし、そうした微細な身体感覚や意識の流れを見つめ続けていると、やがてそれらが消え去ってゆく場面にばかり注意が向かうようになり、しばらくすると、そうした現象を見つめ続けることが煩わしく感じられるときも出てくる。「こんなことやっているだけで、何にもならないんじゃないか……」といった気分になってしまう。
 私は「よい瞑想者でいたい」、「先生に怠け者だと思われたくない」という思いが強かったため、インタビューのときにそんな気持ちは恥ずかしくて話せなかった。しかし、この瞑想はそうした自分の思いも自覚してしまう習慣を作ってしまう。
 一方で師匠に対する尊敬の念というか、「この人は自分のことを何でもお見通しで、よくわかってくれている」というスピリチュアルな恋愛関係のような思い入れも強くなってきている。そんな思い込みに導かれて、師匠の前で思わず「『こんなこと見つめ続けているだけでは何にもならないから、もうやめたい』というような気持ちが出てきてしまうんです……」と言葉に出てしまった。師匠は、「そうか、それなら、そんな気がすると知っておきなさい」と微笑んで応えた。
 叱られるのではないかと思っていたので、あまりのそっけなさに拍子抜けしたような気もしたが、その反面ホッと安心して、私はまたいつもの修行に戻ることができた。

一瞬の体験

 こうした体験を経て集中力が高まり洞察力も深まってくると、身体も疲れず睡眠時間も少なくてすむようになってゆく。ある日のこと、私は昼の1時頃から夜中の2時過ぎまで坐り続けた。周囲で人が動いたり、勤行があったりするのは分かっていたが、坐っている自分の中心軸に根が生えたようで、あらゆるものの移り変わってゆく様子をただじっと見つめ感じ続けていた。
 夜になって誰もいなくなった瞑想ホールで一人坐り続けているとき、突然に自分の中の何かがパッと明るくなってスッキリとしたような感じがした。銃弾が一瞬のうちに的を射抜いたような感じだ。
 その後で時計が11時を打った。日付が変わって2時過ぎに身体を休めようと思って部屋に戻って横になってみても、意識は自然に明晰さを保ち続けた。私は仕方なく3時半には起きだして歩く瞑想を始めた。
 その日のインタビューで師匠にその経過を報告すると、「そうか、そういうことはこれ以降めったに起こらないかもしれないけれども、がっかりしたり、期待したりすることもなく、ただ淡々とこれまでどおり瞑想を続けていきなさい」と応えてくれた。

ヤンゴンのシェダゴンパゴダの境内ヤンゴンのシェダゴンパゴダの境内

 結局そのような明晰な状態は3日3晩続いた。4日目の昼過ぎに身体の疲れを感じ、気持ちよく昼寝をすることができた。それ以降師匠は「目覚めていたら夜でもずっと瞑想していいし、疲れてきたらお昼でも休んでよい。周囲を気にせず、しっかりと自分のペースを見つめながらやりなさい」とアドバイスしてくれた。
 気づいてみると、センターには、もう一人そんな感じで自由に瞑想しているらしい女性修行者がいた。誰とも話をせず、沈黙したまま修行をしているのだけれど、こうしてみんなで集まって、それぞれが一人になって瞑想修行することのありがたさを感じた。

視界の変化

 そんな体験があった後、日常生活の中で見え方の変化がおこってきた。
 たとえば、ビルマでは食べるときには右手を使い、トイレの時には左手で洗浄をする。あるとき、私は大便の後で洗浄している左手の動きや感触、指を動かそうとしているときの心の動きなどを詳しく見つめてみた。
 臭いもするし、「うんこは汚い」という先入観があって嫌悪感が浮かび上がってくるのがよくわかる。
 しかし、「拭き取ろう」という意思が手や指の筋肉を緊張させ、左手の中指が肛門に残っている大便に触れた瞬間にその接触感覚に意識を集中してみると、それはとても柔らかで感触としては気持ちのよいものであることに気づいた。「ああ、柔らかで、中にはちょっとツブツブした手触りのあるものが混じっていて、滑らかで気持ちがいい」と思うと、指先でそれを探求してみるのがにわかに楽しくなった。
 しかし、しばらくすると臭覚や視覚を通して、以前の「うんこは汚い」という感覚が戻ってくる。私はその両方の世界を往復しながら、「私」が意識する「世界」というものの不思議さと面白さを実感した。
 子どもやある病理を生きる人には大便で遊んでしまうことがあるということを聞いたことがあった。一般常識の世界で考えると、それはなんとも汚らしい話のように感じられる。しかし、あの微妙な接触感覚の世界に没入してみると、それは柔らかくて滑らかで気持ちのよい体験であり、それをこね回して遊んだり、塗りたくったり、大切なものだと思ってしまう感覚世界のあることが実によく理解できる気がする。
 師匠にそんな話を報告すると、彼は微笑みながら、「そうかぁ、ひとつひとつしっかりと見つめてゆきなさい」と受けとめてくれた。

注意すべきこと

 こうして4ヶ月間の集中的瞑想トレーニングを終えて間もない頃、食事の供養に呼ばれて外出することがあった。車を降りて道路を渡っていたとき、頬に気持ちのよい風が当たるのを感じた。私は思わずその感触に集中してしまった。
 しばらくして、後ろから誰かが私の背中を押して何かを促しているのに気づいた。あたりを見回してみると、自動車が私の横に止まって待っていた。ほんの一瞬のつもりであったが、私はだいぶ長いこと道路の真ん中で立ち止まっていたようだ。瞑想道場の中ですべてをゆっくりと行いながら集中力を高め、瞑想だけの生活をしていた余勢だった。
 そのときには「道を渡る牛みたいなものだなぁ」という笑い話で許されたのだが、私は日常生活で深い瞑想を実践する際の大切な注意点を教えられたような気がした。
 そうはいっても、癖になってしまったものはすぐには治まらない。パゴダ(仏塔)で念仏をしていたら付き添いの檀家さんを長時間待たせてしまったことなどがよくあった。修行僧を大切に世話してくれる彼らにとっては、私のこうした不注意はある意味での自慢話に転換可能なものであったようだが、一般人として社会生活を送るためには十分に注意しなければならない。そうしたことを学んでゆくことが次の課題のように思えた。

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リレー連載著者略歴一覧

井上ウィマラ(いのうえ・うぃまら)

1959年山梨県生まれ。京都大学文学部宗教哲学専攻中退。日本の曹洞宗とビルマのテーラワーダ仏教で出家して、瞑想と経典研究に励む。カナダ、イギリス、アメリカで瞑想指導をしながら心理療法を学ぶ。バリー仏教研究所客員研究員を経て還俗。マサチューセッツ大学医学部で瞑想に基づいたストレス緩和法の研修を受けて帰国。現在は高野山大学で人生全般に応用できるスピリチュアルケアの基礎理論と援助法の構築に携わっている。

篠宮龍三(しのみや・りゅうぞう)

1976年11月11日、埼玉県出身。法政大学卒業後、東京で会社員をしながらフリーダイビングの競技を続ける。現在はヨーロッパを中心に数々の国際大会を転戦。2008年にバハマ バーティカルブルーにてアジア人初の水深100m越えを達成。史上7人目となる100mダイバーとなる。2009年の世界選手権期間中に107mのアジア記録を達成、ジャック・マイヨール越えを果たした。2010年4月、バハマで開催されたバーティカルブルーにてアジア人未到の115mの大記録を打ち立てた。2010年6月には、アジア初・日本初の世界選手権を大会オーガナイザーとして開催した。

戸髙雅史(とだか・まさふみ)

1961年、大分県生まれ。登山家、野外学校FOS主宰。1996年オペル冒険大賞受賞。ヒマラヤに宇宙を感じ、山との融合を求め、高峰に登り続ける。標高8,611mのK2峰単独登頂(’96,世界第2登)など八千メートル峰四座に無酸素登頂。’98年、チョモランマ峰北西壁にてビバーク中、生きるべき世界はいのちのつながりのなかにあると直感。過去や未来(意識)の介入しない現在[いま]…そこにいのちの本質をみ、瞬間性に満ちた自然という場での体験活動や、即興の音やリズムを交えた講演・ライブなどを通して参加者の方と体験を分かち合っている。

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