結婚、そして家族を機嫌よくやっていく方法

最終回

家族法人のススメ

 結婚にまつわる諸問題について書いてきたが、当人の家族観と切っても切れないことが見えてきた。最終回では家族のあり方について触れてみたい。。

 「家族」というものは、なかなか休めるものではない。
 受験や就職や恋愛と違い、生きている限りずっと関わっていなければならない、逃げられない問題だと、私たちは思い込んでしまう。

 家族も「逃げられる家族」であるといい。
 社民党党首の福島みずほは夫婦別姓論者であり、「娘が成人したら家族の解散式をやりたい」と語っている。
 保守論者を中心に批判されたが、私はこれはいいアイデアだと思う。

 私は、いっそ「家族法人」にしてしまえばいいと思う。
 家族も法人のように構成して、そのときどきで、経済的・法的に守りあう形にすればいい。この連載でも紹介したフランスの「パクス法」やスウェーデンの「サムボ法」に近い。

 「生まれたときに所属している自分の親との家族法人」
 「結婚や出産で作られる配偶者や子との家族法人」
 「同性の配偶者や養子や友人とのあいだの家族法人」などが考えられるだろう。

 「血縁」や「婚姻」を基本とした関係性だけでなく、自分が守りたい関係性を、経済的・法的に守れるようなしくみにもしたほうがいい。
 そうすれば養子ももっと自由になるし、同性間の婚姻も実施しやすくなる。

 家族は逃げ道がないのが息苦しいが、法人はいつでも解散できる。
 家族法人を組んでいても、途中で大学教員のようにサバティカル(長期休暇)がとれたり、時々組み換えがあったりするほうがいい。
 もちろん、「家族は永遠だからいい」という価値観もあるだろう。それを否定するつもりはない。

 ただ実子を作ったら最後まで面倒を見るべき、とも思わない。実子からも逃げるという選択肢は必要だ(「一家心中」などというおためごかしな言い方は最悪である。あれは親による子殺し+自殺でしかない)。
 そのためにも養子を受け入れやすい家族法人は望ましい。

個人でも「決算」を

 私自身も小さな法人の代表取締役だが、法人には決算があるので、1年ごとに仕事や金の流れについて、棚卸をせざるを得ない。

 日本のサラリーマンのしくみでよく批判されるのが、税金や社会保険の「天引き」文化だ。自分の手取りと額面の差しか知らない人も多い。
 自分の収入、税金、加入している保険などを知る。そして、手元に残る財産で自分が何をしたいのかを考える。
 これを年に1度は棚卸して考えないと、ただ流されてしまうだけになる。
 個人としても、自分の収支はすべて自分で決算した方がいいだろう。

 家族法人も年に1回決算をしたほうがいい。

 私たちは人生において非常にあいまいな「経営方針」で、あいまいな知識で「行けるんじゃない?」と、いきなり安易になってしまっている。
 しかし一方で、あいまいさにもうっすら気づいているので、日常的な不安感にもさいなまれている。
 たとえば「年金はどうせ払われなくなる」という不安だったり。

 人は生きている限りは経済体である。
 結婚は経済体としての自分が社会の中でどう振舞うかを考えるいいチャンスでもあるので、「ドレスが……」「引き出物が……」と考えるより、保険や年金、相続のことをじっくり考えるほうがいい。

どの苦しみを手を打つか

 さて、家族の問題を考えるとき、「自分の親が悪い」「夫の親が悪い」と思いがちだが、敵はたいがい自分の中にいる。たしかに外野はいろいろ言うが、それを受け入れるかどうかは自分だから。

 「それは違う」と言えるかどうかは自分しかいない。

 外部の音を遮断するというが、耳栓ぐらいでなく、アイマスクをして、口にもさるぐつわをはめ、鼻栓もするぐらいの勢いで、五感を閉ざす。
 それが難しいなら、「そんなことをするほどでもない」と思うのなら、家族とのしがらみに身を投じればいい。どちらの苦しみを選ぶかの基準は、自分の中だけにある。どちらの苦しみのほうが自分にとって楽か、そういう選択にすぎない。

 多くの選択肢から選んで進むことが、生きること。選ばないことを選ぶのも生きること。何が少しでも嫌じゃないか、何が少しでも楽か、少しずつつぶしていくしかないし、つぶしていくのが嫌なら、選ばずに流されればいい。

 人とシェアできない悩みを抱えることほど辛いことはないが、家族や結婚の問題のほとんどが、シェアできない悩みでもある。

 理想的な家族や結婚関係はないのだ。他人の家族関係をうらやましいと思うこともあるだろうが、よくよく話を聞き、観察してみると、それはそれで大変だとわかることがほとんどなのだ。

 逆に言えば、「理想の家族や結婚像」がある人はつらいのかもしれない。ないものを追い求めることになるのだから。幸せ幻想の病と言ってもいい。

 肥大化した幻想から解放されるには、「これは幻想だ」と自分に言い聞かせるしかない。ある程度の矯正はできる。が、本質的な部分は治らないかもしれない。しかし、本質はどうでもいい。そもそも本質なんて、自分でもわからないものなのだから。

 どの苦しみと手を打つか、を考えることも大事なことだ。

 自分の問題を解消しようとするとき、他人に言い訳をしようとしないことも重要だ。
 「私は本当はこう思っている」と説明して、理解してもらおうとしてはいけない。
 多くの女性は自分の状況と意見を発表しがちである。状況が悪くても、「据わりのいい意味」をつけようとするから苦しくなって撃沈するのだ。
 意味探しは、多くの女性が抱える女の病なのだ。
 ものごとには意味はない。意味探しはやめたほうがいい。

 「迎合しない」もよくない。迎合が楽な選択とは限らない。楽に迎合している人ばかりではない。

 生きることは、雨が降ったからその辺にあった庇の下に入って雨宿りをする、ということを小刻みに繰り返すようなもの。庇に入ることは「負け」などではないのだ。
 庇にいちいち意味をつけない。その庇は必ずしも、バリのリゾートのコテージみたいなものであるわけがない。たいがいタバコ屋の軒先ぐらいのものだ。

 逃げるのは避難なのだから、やっつけでいい。緊急避難の場所は、どこでもいい。とりあえず避難してみれば、今まで見えなかった別の選択肢が見えてくる場合もある。

 機嫌よく生きるには、緊急手当てなり緊急避難なりが必須。そうやってだましだまし生きていくなかで、どうしても譲れない、どうしても達成したい思いがあれば、そこには全力で取り組めばよい。
 だが、すべてを達成したいと思うのは無理で、1つか2つが叶えばよしとしよう。

「はぐらかし」の術

 家族は本当に難しい。
 「逃げられない」という幻想、血縁幻想、制度・システムの幻想などにからめとられてしまう。
 結婚はそんなこんがらがった基盤の上に立ちあがるから、難しいのは当たり前。

 とは言え、明治期から考えれば、社会のシステムとしては家族関係や結婚の自由度は高くなっている。それでも、自分で自分の自由を狭めてしまう人も多いのだ。

 自分の中のルールのおかしさには、人はなかなか気づかない。ところが、気づいてしまうと、なぜいままで縛られていたのか?と不思議になる。そんなものだ。
 私にもそんな経験は何度もあったし、今でも何度も起こる。

 さらに多くの女性は、「女」という幻想にも縛られている。
 自分、家族、血縁、さまざまな幻想に縛られている。
 幻想に縛られるのは一面、幸せなことではある。これだけ、こだわれることがたくさんあるのは幸せに違いない。
 でもそれで苦しくなってしまったらどうしようもない。

 ではどうしたらよいのだろうか。

 自分が本当に耐えられないことからは、全速力で逃げればいいのだ。
 相手に本当のことを伝え、自分の気持ちを理解してもらおうと思うから辛くなるのであって、嘘をついて逃げればいいのだ。
 冷静に考えれば逃げ方はいろいろ工夫のしようがあるものだ。

 家族は巨大な壁のように、目の前に立ちはだかる大きなテーマである。「逃げられない!」と諦めてしまうのも、全速力で逃げようとするのも、どちらも失敗する。
 完ぺきに逃げようとせず、要所要所、振り返って確認しながら、小刻みに少しずつ後ずさりするくらいで十分なのだ。

 後ろを見ずに逃げるのも危険なものだ。やみくもに走り出したために、結局元に戻ってしまう人も多い。
 逃げるときには追手を確認するのは大切。
 そして、追手は意外に、早い時点で追うのをあきらめることもある。
 だから、嘘をついたりはぐらかしたりしながら、真正面から立ち向かわずに小さな逃げを重ねたっていいのだ。

 私たちは大人なのだから、落とし所を探せばいい。
 たとえば仕事であれば、100点がとれる落とし所などないことはわかっている。
 それなのに、家族のこととなると、つい100点を狙ってしまうし、100点がとれないと落ち込んでしまう。

 家族については40~50点の落とし所がみつかればかなりいいと思っている。20~30点ぐらいの落とし所をこまめに探りながら、だましだまししのぐ、ぐらいを目指せばいい。

 自分自身の縛りからはどう逃げたらいいか?
 自分自身にも嘘をついたりはぐらかしたりすればいいのだ。
 家族の問題にはベストの答えはない。

 私たちは生きている限り、何らかの形で誰かと関わっていかなければいけない。
 その大きな選択肢である家族や結婚とどうつきあい、どう逃げるか、私の中にもまだ答えは見つからないし、答えが見つかったと思ってもきっとそれは幻想だろう。
 そうやってしのいでいくしかないのだ。

(最終回・了)

 
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深澤真紀(ふかさわ・まき)

1967年東京生まれ。コラムニスト・編集者。企画会社タクト・プランニング代表取締役社長。編集者をつとめた後、独立。若者、女性、食、旅など、様々なテーマの企画や執筆、講演を手がける。2006年に名付けた「草食男子」は、2009年流行語大賞トップテンに。著書は、『女はオキテでできている』(春秋社)、『考えすぎない生き方』(中経出版)、『自分をすり減らさないための人間関係メンテナンス術』『草食男子世代――平成男子図鑑』(いずれも光文社)など。

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