第八回 アメリカ的人間としてのカトリック信徒と
       初のアメリカ大陸出身・新教皇(2)
       ――アメリカのカトリックたちと教皇フランシスコの前歴


●「婚姻無効裁判」の現状●

宗教から見た「アメリカ的人間」は、プロテスタント主導の国ゆえに、以下の主題との関連が大きい。すなわち、(1)ヨーロッパでの宗教戦争の惨禍を憂えた「建国の父たち」が、政治を宗教の上位に置いた経緯と、(2)それに不満な宗教勢力(プロテスタント右派)が連邦政府に対して独自の「宗教戦争」を繰り広げて今日に至っている経緯である。(1)では、「建国の父たち」は政治は民主共和制で一元化、他方、宗教は多元化した。つまり、宗教を「信教の自由」の美名で多元化した結果、実は相対化したのである。(2)では、建国において果たしたプロテスタントの役割、特に旧世界の軛を断ち切って、新世界に「神の国」を築いたとする歴史に照らして、「建国の父たち」による「信教の自由」を楯にとったプロテスタンティズムの相対化は絶対に受け入れられないと言い張る勢力が、奴隷制と連結、南北戦争の敗退を「信教の自由」に次ぐ第二の敗北と受け取り、今日に至っている。彼らの今日の姿の典型が、苛烈な「信仰復興運動」で名高い「福音派の右派」、別名「キリスト教右翼」である。

因みに、奴隷所有者だったトマス・ジェファスンは、当時の啓蒙思想から生まれてきた開明的な宗派、「理神論(ディーイズム)」の信奉者で、ベンジャミン・フランクリンら北部の指導者と同信だったから、宗教の多元化・相対化には、彼は奴隷制の蒙昧さを越えて率先垂範、「信教の自由」化を推進できたとされている。

この面からの宗教的な「アメリカ的人間」の描出は、すでに「プロテスタントとしてのアメリカ的人間像」の3部構成で扱った。

アメリカン・カトリシズムの第2部に当たる本稿では、教団の中枢的教義の改変を迫られるカトリックの現況を扱いたい。アメリカのカトリックがプロテスタントに比べて少数派に止まってきたのは、同信の大統領がケネデイただ1人、残る43名は全員、プロテスタント大統領である事実から容易に分かる。

何と言っても、アメリカを建国したのはプロテスタントで、後に奴隷を必要としない産業主義の北部と、農本主義ゆえに黒人奴隷が不可欠だった南部とが、同じプロテスタント同士で国を2分して戦ったのだ。カトリックの中枢をなしたアイリッシュは、貧困層として南北双方で下級兵力を供給した。『風と共に去りぬ』のオハラ家が大農園を保有していたのは、スカーレットの父親が博打でそれを入手したからだった。

しかしながらその後、中南米からの旺盛な移住及び不法入国によってカトリックはアメリカの中心勢力へとのしあがり、早晩総人口が1億を越えて、われわれアメリカニストは英語以外にスペイン語の習得が今後の必修過程になる。

さて、その「中枢的教義の改変」である。カトリックは離婚を禁じているので、事実上の離婚後の男女関係は再婚だと重婚、同棲だと「姦通」扱いになることは知られている。これが当事者らに非常な辛苦を与えるので、「婚姻無効判決(アナルマント)」という便法が案出されたこともまた知られている(ただし、軽重の差はあっても、プロテスタント宗派にもこれがある場合があるし、東方正教会にもある。後者は2回目、3回目の離婚はOK、ただし「結婚の秘跡」は認めない。カトリックは全て御法度)。つまり、「無効判決」は最初の結婚は結婚ではなかったことにしてくれるので、「再婚が初婚」となる。

本稿は、このことを奇習としてではなく、「結婚の秘跡」をめぐる真剣な自縄自縛という難題として見ていきたい。その1例は以下の通りである。

離婚して再婚した信徒は、以後も教会のミサには出ている者が多い。しかし、「婚姻無効判決」を受けていなければ、「聖体拝領」は受けられない。祝福を受けたいという意思表示は、自分の胸と両肩を触って神父らに合図を送るのだが、それができない。具体例として、イリノイ州のある教会でこの合図を送れない64歳の男性は、自席に止まったまま、祝福を受けにいそいそと祭壇へ出ていく長らくの信徒仲間の背中を見送ることしかできないのである(この老人はギャレンという姓だが、この姓は所属する民族集団はアイルランド系が多い)。

「聖体拝領」の重みは、信徒でないと分からないと思うので(筆者も同様)、以下の例を引いておく。ホノルルで戦術訓練を施す軍の専門家で、メキシコ生まれの39歳の男性はイラク戦争参戦を前に2003年に結婚、4年後に離婚した。その後、カトリック女性と再婚(普通の市民結婚)、相手は初婚、そこで教会での婚姻をめざして「婚姻無効判決」をと2年半思い続けて申し込めないでいる。初婚時点の神父はフランシスコ会で、手助けを約束してくれたが、裁定に関与する神父に聞くと「聖体拝領」は受けられない、彼の兵役も勘定に入れてもらえないという。

因みに、新移民が多い中南米系は、授業料が高い大学を敬遠、いきなり軍隊に入ることで「主流化」を図る。軍隊は大学より専門化が進み、しかも給与と軍人年金がもらえるからだ。

さて、このメキシコ系男性は苦痛のあまり、離婚歴を隠して聖体拝領を受けた。つまり、それほど聖体拝領の有無は、彼の精神を蝕んでいた。「無効である聖体拝領」ですら、それによって彼は、「私は主のお体を感じとれた」とまで言うのである。

もう1つ、いかに聖体拝領が重いものであるかの実例。ヴァージニア州アーリントンに住む42歳の中南米系の女性は、自身が無効判決を得る苦痛の最中に置かれているにもかわらず、「今も『結婚の秘跡』を信じているし、教会が世俗化の波に抗して秘跡の神聖さを護持してほしい」と言い切るのだ。

とはいえ、礼拝に出る度に募るこの深刻な疎外感を埋め合わせるには、より規制が緩やかなプロテスタントへの改宗者が増えることになる。

それも一足飛びではなく、ミサに出なくなっても、献血運動や「手作りパン即売会」(教会の資金集め)などには出るし(シアトル在住の40歳の中南米系女性)、離婚者同士でおたがいが離婚に至った経緯までを話し合うプロセスを経て(ノース・キャロライナ州都シャーロット在住の、姓から見て英系と思われる57歳の女性)、徐々に改宗へと追い込まれていくのだ。以上はアメリカでの諸例だが、身に詰まされる話ではないか。

●日系アメリカ人の離婚例●

日系アメリカ人もいる(今日、彼は76歳。特に氏名をあげると、ヤスオ・トキタ)。トキタの妻も日系人だったが、37年間、カトリックとして夫婦生活を送った後、妻がカトリックを捨ててモルモン教徒になったので離婚した(優秀な農場経営者である日系人にモルモン教徒が多いのは、筆者もユタ州で実例を見た)。トキタは婚姻無効判決を経て、2011年(72歳か)、同信のフィリピン系女性と再婚したが、なぜか教会はバイパスした(前述のメキシコ系男性の逡巡と類似?)。その再婚が再び離婚で終わりそうな状況である。

トキタの場合、仏教徒だった両親がシアトルのカトリック教会で結婚、その後、彼が生まれてからアイダホの日系人強制収容所に入れられたが、一家は信仰を棄てなかった。トキタは、「離婚で私のカトリックとしてのアイデンティティは目減りした」と言っている。そして、「カトリックでは離婚信徒は『疵物』と見られる」と言い足す。

「疵物」という言葉は、評判を気にする、特に戦前の日本人社会特有の自己卑下だが、トキタがアメリカで多民族社会に放置されると、自己卑下が一層加速されたことになる。さらには、太平洋戦争後に急速に戦前・戦中の古い価値観を振り捨ててきたわれわれ日本人に比べて、日系米人は親譲りの旧来の価値観を捨てそびれており、「疵物」という、われわれには死語と化した言葉がまだ生きている。おまけに彼らはそれらの価値観に英訳を施す。「疵物」は英語だと、「ダメッジド・グッズ」と、極めて端的である。アメリカ社会で傷ついた分だけ、日本の価値観に付与した英語は、一層の屈折を帯びる。

以上は、多かれ少なかれ、他の民族集団にも当てはまる屈折で、万事に「子供っぽく単純」と言われがちな「アメリカ的人間」の、深層面での屈折なのだ。

そして、トキタはこう言うのだ。「離婚では『脱水機』にかけられるが、実際にはカトリックの離婚者は極めて多いと思う。教皇フランシスコは、非常にご理解のある御方で、いずれは離婚で教団を離れざるをえなかった者も、元の教会へ戻り易くなるだろう」と希望的観測を口するのである(以上は2015年1月25日の『ニューヨークタイムズ』、ダイアンサ・パーカーの長文の記事)。

本稿の第1部で触れたように、離婚手続きの迅速化に関するかぎり、教皇フランシスコの姿勢に対する、離婚問題で悩む膨大なアメリカン・カトリックの期待は、自分らの人生を賭けた必死の思いが籠められている。

「アメリカ的人間」の類型を探る本稿だから、日系人はわれわれ自身から創り出された「アメリカ的人間」の原型として先でぜひ取り上げたい。強制収容所で自分がアメリカ国民であることを否定され、自身のアメリカ的アイデンティティを実証すべくヨーロッパ戦線や太平洋戦域へ収容所から赴いた典型として、故ダニエル・イノウエ連邦上院議員(ハワイ基盤)は徹底している。彼はイタリーの戦場で右腕を失い、「隻腕の上院議員」として知られた。自ら「疵物」と化して、自身のアメリカ性を実証してみせただけでは足りず、さらには上院議員としてそれを仕上げてみせたのだ。この壮絶な意気地こそ、「アメリカ的人間」の真骨頂である。

ただし、イノウエは二世で、四世はかなり違う。東京の街路を歩いて、「ああ、これは外国だ。やっぱりおれはアメリカ人なんだ」と呟いた日系4世がいたが、これぞ日本母国幻想を振り捨てた日系人新世代の典型で、アメリカ社会への登攀競争真っ最中の四世の典型像を、目下探している。ウォーナー・ブラザースのCEO、ケヴィン・ツジハラ(51歳)は、まさに生き馬の目をくり抜く修羅場のハリウッド映画界を牛耳れる地位をもぎとれるまで、日系米人がのし上がってきた典型像なのだが、本連載では日系二世の章で扱いたい。

さて、アメリカの場合、離婚後に再婚したカトリック教徒は成人総人口の28%(ジョージタウン大学使徒職応用研究センター〈CARAGU〉)、実数だと1100万人である(世界でもダントツに多い)。例えば、2012年のアメリカ国内のカトリック教徒の婚姻無効判決数は2万4010件、あらゆる宗派の無効判定の49%、無効判定数が世界で第2位のポーランドは、同年2000件以下(6%)である(教会年間統計〈ASE〉)。日本の数値は不明である(信徒総数は41万/2006年)。

しかし、世界中で離婚率と結婚率の両方が低下してきたあおりで、アメリカでも婚姻無効判決件数が激減してきたのだ。例えば、1990年の無効判決数は7万2308だったから(ASE)、前記の2012年には3分の1である。

本稿では、この深刻な主題を、アメリカ主体に扱うのだが、当然、ケネディ一族に代表されるアイルランド系、イタリー系を代表とする南欧系カトリック、そしてポーランド系を代表とする東欧系カトリック、そして中南米から来たラティーノ・カトリックがアメリカの形成に果たしてきた役割を瞥見しつつ、この主題に触れる。

なお、以上の民族集団では、アイルランド系以外はまだ合衆国大統領を生み出していない。しかも、前述のように、アイルランド系カトリックの大統領は未だにケネディただ1人である――暗殺から半世紀を経ても! 他は全員、プロテスタント大統領なのだ。

とはいえ、現教皇フランシスコは、前述のヤスオ・トキタ老人に見られたように、彼と似た境遇に置かれた全てのカトリックから期待を寄せられている。教皇は再婚とゲイの婚姻を巡るカトリックの自縄自縛を突き破るべく尽力を開始、この難題を解決すれば辞任も辞さない非常の覚悟を固めていると言われる(元来終身職である教皇の座から史上719年ぶりに「生前退位」した前教皇ベネディクト16世が手近な模範を残した)。従って、第1部との関連でも、このアルゼンティン人教皇にはやや詳しく触れざるをえない。

●教皇フランシスコが辿ってきた道程●

歴代教皇は、当然、「ローマン・カトリック教会」だけに、イタリー人が最多の217名、フランス16名、ギリシャ15名、ドイツ人8名(「神聖ローマ帝国」〈962~1806〉の中心だったオーストリー人が多い)、プロテスタントの国アメリカは0である(翻って、歴代アメリカ大統領はケネディ以外は全員プロテスタント)。スペインの植民地だった中南米出の教皇は、アルゼンティン人の現教皇フランシスコが最初で、彼はイタリー系移民の子供である。いや、この教皇は南北アメリカでも史上初の教皇であり、イエズス会ですら史上初の教皇なのだ。

イエズス会は、「宗教改革」相手の法論集団として1534年結成、1540年、時の教皇に公認された。このイエズス会には、元来、教会内で高位を求めない伝統があり、同会出身の教皇がこれまで登場しなかった背景かと思われる。

第1部でちょっと触れたポール・ヴァレリーの『教皇フランシスコの挑戦』(春秋社)などを参考に以下フランシスコの略歴に触れておくが、現教皇の本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオ、教皇名はアッシジの聖者フランシスコから襲名した(これまた初めて。歴代教皇の名以外を選んだのは2例目。つまり、フランシスコ会やイエズス会は、傍流。前者はアッシジの聖フランシスコが1206年結成、教皇承認は1210年。

なお、日本と縁が深いフランシスコ・ザヴィエルは16世紀に生きた全くの別人でスペイン人のイエズス会士(だから「耶蘇会」の当て字)。一方、アッシジの聖者はイタリー人。

現教皇フランシスコは、アルゼンティンが軍事独裁政権になった1974~83年、イエズス会管区長(1973~79)、次いで神学院長(1980~86)として、貧困地区の支援を中心とする「解放の神学」関連の左派活動を右派的活動へと急旋回させた。そして、貧困地区での活動を続けていた自分の師だった神父2名が軍に捕まり、拷問を受けたのを座視したとして告発されかけた。軍事政権下で膨大な数の死者が出た中、この2人は辛うじて生き延びたが(ベルゴリオの救命嘆願が奏功したと言われる)、しかしその1人は釈放後、ベルゴリオを指弾、1人はベルゴリオの教皇就任後、公式に弟子(ベルゴリオ)を無罪とした。

客観情勢から見て、キューバの社会主義化、それに対するアメリカ、特にCIAの過剰反応がドミノ現象となってアルゼンティンやペルーに反共軍事政権を誕生させた。これに、ヴァティカン側の社会主義に対する痛烈な反発が輪をかけた。第3部で扱う「ヴァティカン2」(第2ヴァティカン公会議)(1962~65)への教皇庁側の反発である。

ベルゴリオがイエズス会を「解放の神学」から離脱させようと図ったのは、軍事政権の暴虐を逃れる便法だった可能性は高い。事態は、皇帝ネロの弾圧に脅えていた時期のローマでキリスト教徒らが置かれていた状況に近かった。イエスが逮捕されたとき大祭司の屋敷に忍び込んだ使徒ペテロは3度、イエスを否定するが(イエス自身がそれを予言)、後にペテロはついにほぞを固めて殉教する。それは皇帝ネロの時代であったと言われる(ならば紀元67年ころ)。ペテロはローマ教会の礎を築いたとして、初代教皇とされている。

殉教者になる勇気を欠いた信仰指導者は、暴虐な権力者の裏をかいては、密かに迫害にさらされている者を逃がすという手を使う(ベルゴリオが数多くを海外へ逃げ出させたという証言が多いのである)。

ベルゴリオは、ついにペテロの顰みに倣って軍事政権下で殉教者になれなかった。これが大きな罪障感として残留していたとすれば、この人物の貧困層への負い目は彼を駆り立て、さらには離婚とゲイの問題という、カトリック最大の難題の解決へと彼を駆り立てるだろう。

因みに、アルゼンティンは軍事政権は1974~83年と(一説には1969年から動きあったと)、約10年で普通の政体に戻れた――フォークランド戦争(1982年4月~6月)の惨敗で、軍事政権を率いたガリティエリ大統領が失権したせいとされる。一方、アメリカ合衆国が宿敵キューバと縒りを戻し始めるのは、歴代大統領では最も常識に従って世界を見ることができる1人、オバマの時代、実に54年後だった! 共和党は今日でもまだ反キューバで凝り固まった動脈硬化症患者だらけである。中南米諸国に感染症をもたらした合衆国自体の病原体のほうが慄然たる脅威だったことになる。このことと、合衆国が圧倒的にプロテスタントの国であるとの因果関係は否定できまい――中南米諸国は圧倒的にカトリック地帯なのである。

米キューバ復交の取り持ち役をベルゴリオが教皇フランシスコとして果たした因縁は、本稿の趣旨では極めて意味深長となる。

話を当時に戻すと、複雑なのは以下の事情だった。キューバの左傾と時期を同じくして、カトリック僧侶集団自体、左傾化の動きが活性化、教皇庁を揺さぶっていた。これこそが名高い「第2ヴァティカン公会議」である(略称「ヴァティカン2」、1962~65/第3部で詳述)。左派のカトリック聖職者らの造反は、後に学生間に燎原の炎となって広がり、あのカウンターカルチャーへと拡大、1968年にはピークに達する(拙著『アメリカ「60年代」への旅』朝日選書。マーク・カーランスキー『1968年――世界が揺れた年』上下2巻、越智・来住道子訳/ヴィリッジ・ブックス)。

この事態に対して、ヴァティカンの保守派は、むろん反発した。とはいえ、この時期、リベラルな案件は平均20対1もの大差で決められていったから、カトリックの中枢部を左派に乗っ取られたことに反発、遠く南米の周辺部で保守派が過激化、ついには軍事政権が誕生したと見られるのである。

ベルゴリオは、軍事政権との絡みで、貧困地区救済の布教活動に従事するイエズス会僧侶らを活動から引き抜いた(軍政中枢から「解放の神学」寄りとして標的にされまいと)。前述のベルゴリオ自身の師匠2名は、弟子の諫言を拒否して軍事政権の餌食にされかけた。拷問側はこれら師匠を含めて拘留者らを全裸にしたが、このやり方は強制収容所でナチがユダヤ系に対してとった手口だった。

だが、災厄が過ぎ去ると、以後、ベルゴリオ自身は急速に貧困層への配慮を深めていく(彼が採用した教皇名「フランシスコ」こそ、清貧を礎としたアッジジの聖者の名であり、貧困層に対する彼の深刻な「贖罪」意識の具現だったのか?)。彼の180度の変容ぶりは誰もが口にしているのだ。

元来、高職につくことに否定的なイエズス会にあって、ベルゴリオは要職について状況を改変していく天分に恵まれていた――これは政治的才能である。軍事政権を刺激せず、その裏をかき続けた手際こそ、その最も精緻な表れだったのでは? だからこそ、イエズス会管区長と神学院長を辞めて以降、無聊を囲っていたのだ。そんな彼に、1992年、司教補佐の任務が回されて、それ以後、教皇まで職階を登り詰めていく運動律に乗れたのである。

ベルゴリオが政治家向きなのは、現実の政治家が彼をライヴァル視していた点からも窺える。ネストール・キルヒナー大統領(キルチナー)、そして彼の死後、大統領になった未亡人クリスティナ(前大統領)のベルゴリオとの関係は緊張していたが、彼が教皇に選ばれると、女性大統領は姿勢を急旋回させた(まさか、教皇から大統領にはなるまいと見たのである)。

なお、植民地獲得競争に出遅れたドイツは南米の旧スペイン植民地、米豪南アなど英の旧植民地への移住が多く、アルゼンティンも同様。ネストールは父親がドイツ=スイス系。前大統領のクリスティナは母親がカトリック多数のクロアティアからチリへ移住してきた。

さらには、この国アルゼンティンには、ペロン、彼の夫人エヴァと、妻が夫から政権を受け継ぐ伝統がある。名高いミュージカル、『ドーント・クライ・フォア・ミー・アージェンティーナ』(マドンナ主演の映画は1996年)は、エヴァが主役である。

こうして、新教皇は、貧困対策に加えて新たに離婚問題とゲイ問題という、かつての彼の保守派路線からは考えられない革新路線へと教団を急旋回させつつあるのだ。

その現教皇フランシスコはすでに、2014年10月5日~19日、世界中の司教・枢機卿を招集、2015年10月の一層大規模な司教会議(シノド)にかける幾多の案件の瀬踏みを行った(第3部で詳述)。その結果、教会のリベラル化の鑑だった「ヴァティカン2」を凌ぐ大改革となる期待が高まっているのだ。しかも、今日のカトリックの動向は、「ヴァティカン2」への反動で極めて保守化、この流れに逆らうのは困難なので、教皇の微妙な舵取りに注目が集まっている。

●「結婚の秘跡」vs「結婚の事実」●

急いでつけ加えておくと、そもそも離婚禁止はイエスが弱い立場の既婚女性らが男性の恣意によって離縁され、生活苦にあえぐ事態から彼女らを救出すべく打ち出した禁令だった。

男性側の恣意の典型は、英国王ヘンリー8世による王妃アラゴンのカテリーヌとの離婚を教皇が破門で罰し、怒った前者がカトリックを離脱、1533年、英国国教会を設立、その首長に納まり、以後5名の妻を離縁したこと(うち2名は処刑、最後の妃とは当人が死別)。エリザベス1世はスペインの「無敵艦隊」を撃破(1588)、大英帝国隆盛の契機を作るが、彼女の母、アン・ボレインが8世最初の離婚の原因だった。そのアン自身は、後に不義の咎で8世に処刑された。とはいえ、離縁された彼の妻たちが生活苦に喘いでいたわけではなかったが。

ともかくイエスは、モーセが認めた離婚を、男性側の無情さに譲歩したとして否定、イエス自身の信徒との新たな契約(「新約」)では容認しないとした。第1部で触れた『ニューヨーク・タイムズ』の保守派コラムニストで、19年前にカトリックに改宗したロス・ドウザットの2014年10月28日付コラム参照。聖書でイエスが離婚御法度とした箇所はマタイ19章7~9節、マルコ10章9~12節、ルカ16章18節参照。

ドウザットは、カトリックこそ最もイエスの教えに忠実と見ているが、この離婚へのイエスの禁令の護持を忠実さの最も確かな証拠と見ている。

イエスの離婚禁止令は、女性信徒を生活苦から救おうとした点では、イスラム教に関する以下の俗説を反転させた形で似ている。すなわち、夫が信仰を護持する戦いで戦死、寡婦が急増、生活に困った彼女らを救うべく、クルアーンは4人までは夫が戦死した寡婦を娶る認可を与えたという俗説である。

さらには、「婚姻無効判決」の手続きには、初婚をしくじった背景を自ら掘り下げるという枢要な過程が含まれている。これは、極めて慎重な手順で、自分がどこで初婚につまづいたかを、徹底的に反省する行為であり、いわば「わが挫折の記録」という反省的自叙伝を書くことと変わらない。

これこそが、カトリックがいかに人間精神の欠陥の奥津城まで目配りしているかを証拠立てるものだ(後述のように、カトリックは人間精神の欠陥を深々と認め、だからこそ神の助けが不可欠としている)。常識から言っても、初婚挫折の真因を突き止めてから再婚しなければ、またぞろしくじる可能性が高い。〈あのとき、右へ行かずに左へ行けばよかったんだ〉と心得ておかないといけない。

教会側の審議は教区裁判所で行われ、司教の代理人である3名ほどの裁判官(内、裁判長は必ず司祭)が担当、婚姻無効訴訟の申立人は証人を2名用意する(これは結婚式時点でも、婚姻の有効性の証明として必要だった)。

さらには以下のように、細かい配慮がなされている。無効訴訟の申立人が結婚生活で傷を負っている場合、裁判所はセラピストを用意する。

また、婚姻無効が宣言されると、当然、子供の地位が気がかりだが、「無効判決」はあくまで元夫婦だけに限定され、 2人の間に生まれた子供には及ばない。だから、「無効となっ婚姻時の子供が庶子扱いされる」というのは世間の教会に対する中傷だし、彼らが元夫婦に養われる権利は留保される。要するに、子供に関するかぎり、普通の市民法で守られている。

とはいえ、人情として、自分らの結婚が無効となれば、子供らがどう思うか? あるいは,世間が子供らを庶子扱いしはすまいか? と、親たちの懸念は払拭し難い。

元の連れ合いが婚姻無効に反対しても、申立人の言い分が通る場合がある。申し立てを起こさない元の連れ合いは被申立人として審議に加わるが、立場は一種の「被告」とはいえ、無効判決に異議を申し立てることはできる。大半の場合、元の連れ合いは立ち会わず、審議では欠席者とみなされるが、教区裁判所が元夫婦の生活の実態を掴むには必要な存在なので、被申立人、つまり元の連れ合いの欠席は申立人に不利になる場合がある。

肝心なのは、無効となるのはあくまで教会が賦与した「結婚の秘跡」であり、「結婚の事実」ではないということである。要は「精神界での結婚の事実」だから、婚姻無効訴訟の場は、一般の裁判のような丁々発止ではなく、教会法の範囲内に限定され、大半が文書でなされ、非公開である。

以上、初婚無効裁定の細かい手順だけ見ても、例えは悪いが、ヒトラーが「制度的整備の緻密さにかけてはカトリック教会の右に出る組織はない」と述懐、第三帝国形成の参考にした故事も頷ける。

●カトリックとプロテスタントの根本的な違い●

ただし、大半の信徒は挫折した初婚からすぐにも目を背けたいのだ。そもそも結婚の破綻にひたと目を据え、「わが挫折の記録」を真剣に書けるだけの慎重さがあれば、配偶者次第とはいえ、初婚を何とか全うできた可能性が高い。

以下、重要な余談。カトリックは「人間精神は暗闇で、神の助けなしには個人では生き延びられない」と見なし、幾つかの補助手段を用意した。その最たるものが、(1)「幼児洗礼」、(2)「告解(こっかい)」(いわゆる「ゆるしの秘跡」)、(3)「聖母マリア崇敬」、(4)「教皇制度」である。

(1)は西も東も分からない赤子の時点でいきなり洗礼してしまう。他方、アメリカのプロテスタントには幼児洗礼を排し、判断力がついてから自力で受洗を選択すべきとするものが多い(幼児洗礼を認める教派もある)。有名な牧師による受洗は人気が高く、例えば、筆者も最盛期は「ホワイトハウス専任牧師」と言われたビリー・グレアム最後の訪日説教を東京ドームで聞いたが、説教の最後で牧師の呼びかけに応じて数十名がスタンドからグラウンドへ下りて彼の前へ出ていった。

因みに、グレアムの宗派は、全米プロテスタントの最大宗派「サザン・バプティスト会議(SBC)」で、彼のころから執行部で保守派が伸長、以後、教団の大学その他から左派を追放、いわゆる「キリスト教右翼」の中核としてレーガン、ブッシュ父子の共和党政権を支えることになる(ブッシュ父はあられもない教条主義を唱える「キリスト教右翼」を唾棄したが、選挙を仕切ったブッシュ息子はこの勢力抜きには勝てないので連絡役を務めるうちに、自らは信徒になる)。

なお、SBCの左派がカーター及びクリントンの民主党大統領だったが、慎重なグレアムは彼らとも縁が続いた――カーターらもグレアムの高い知名度を無視できなかったのだ。

つまり、「幼児洗礼」のカトリックでは、赤子はいきなりカトリック信仰の只中へ生まれ落ちるのである。他の3つの補助手段が弱い人間精神への補助手段であることは、明白だろう。かつて教皇庁が売りさばいた「免罪符(贖宥状)」も、一種の欺瞞的補助手段だった。

一方、プロテスタントは、「あくまで自力で悪魔と戦い、日々、心の中に住み着く悪魔を駆逐しなければならない」とする。そのために、移住早々のピューリタンの指導層は「悪魔との日々の戦い」の模様を日記に書き残し、これらが今日では第一級の歴史&精神活動の資料になっている。

そもそも16世紀に始まった「宗教改革(リフォメイション)」は、教皇制度とその先兵を養成する修道院制度の破壊が最優先の目的だった。これらが、宗教改革者らの目には、想像を絶する腐敗の根源となったと意識されたのである。最初は、修道院に入ったマルティン・ルーテルが実践不可能な戒律に音を上げ、この制度を敵視、後に宗教改革の標的にした。英国では、教皇庁から破門されたヘンリー8世がカトリック資産の剥ぎ取りの一環として修道院を狙い撃ちした。

修道院制度以外にも、例えば教皇が旅するとき、巨大な革トランクを帯同したが、その中には愛人が入っていたと言われる。そういう小さな裏切りよりも、教皇による、現実のヨーロッパ政治への露骨な介入は、ヨーロッパを戦場に一変させた。

この陰惨な宗教戦争の記憶は、アメリカに移住した者たちの心の奥深く残り、冒頭に書いたように、「建国の父たち」は政治を「民主共和制」に一元化、他方、宗教は多元化した。つまり、政治を宗教の上位に置き、宗教は相対化したのだ。これこそが、「信教の自由」の現実のダイナミズムである。そして、これこそが、ヨーロッパ始発の「宗教改革」を越える、アメリカ始発の根源的な「宗教改革」だったと言える。

他方、宗教の相対化に対する反発は今日のアメリカまで長く尾を引き、熱烈な「信仰復興運動」として繰り返しアメリカ社会を揺さぶり続けてきた。われわれの時代、「キリスト教右翼」がそれで、1980年代と21世紀初頭、レーガンとブッシュ息子(共和党)を大統領に押し上げた――むしろ、今日では彼らこそがアメリカの「宗教改革」を担っていると言える。

ただし、信仰復興運動の中心、「福音派運動」は保革に分かれる。例えば「キリスト教右翼」の中核だった前述の「サザン・バプティスト会議(SBC)」の場合、カーターやクリントン(民主党)はSBCのリベラルだった。カーターはSBC執行部を乗っ取っていた右派に抗議して2000年に脱会。その後、SBCの執行部が左派に交代、「キリスト教右翼」の衰退が始まり、左傾した者たちの25%がオバマに投票したと言われる。

筆者自身、1990年代後半、高齢者が集中するフロリダを取材中、大きな病院でヴォランティア高齢者らを纏める50代の白人男性に出会ったが、彼こそはまさにリベラル派ゆえにSBCの牧師職を追放された人物だった。職がないのでヴォランティア老人らの纏め役で食いつないでいたのだ。彼は追放された仲間と年に1回、強化合宿を行い、雌伏の時を耐えていた。その後、中道派がSBC執行部を奪還したとき、彼は復職できただろうか?

「キリスト教右翼」はあくまでプロテスタントの各宗派にできた「派閥」であり、保革自体が宗派に分裂していたわけではない。従って、保革の派閥は、前述のアルゼンティンで見たように、カトリックにも存在する。

一方、これは腐敗と言えないかもしれないが、修道院がドン・ペリニョンを筆頭にワインその他の酒類の製造の温床となったのは、修道士らが課せられた「不犯(ふぼん)」、すなわち禁欲の戒律ゆえに、酒で性欲を押さえ込む目的からだった。

もっとも、不犯は古来、第1部で触れたように、修道士に限られており、カトリックの聖職者全員が不犯を課せられるのは10世紀頃といわれる。

この最後の例(不犯)は、ほぼ実行不可能な苦行である点では、プロテスタントの「自力での悪魔との戦い」といい勝負である。神父が信徒の尊崇を確保するには、人間技を越える禁令に耐えてみせるしかないわけか?

映画『キーピング・フェイス』(邦題『僕たちのアナ・バナナ』2000)は、ニューヨークで子供時代からの遊び仲間が成人後、カトリック新米司祭とユダヤ教のラビ候補、そして女の子は企業戦士になり、幼時の友情と成人後の性的感情の板挟みになる三角関係を描く悲喜劇だ。そして、不犯と酒の因果関係は、新米カトリック司祭(俳優はエディ・ノートン)において詳しく描出される。彼は、幼なじみの女性をユダヤ教徒のラビ候補に奪われ、浴びるほど酒を飲みながら夜のニューヨークを彷徨する。

教皇フランシスコも、修道士時代、好きになった娘への思いを断ち切る辛酸をなめた。まさに映画の題名通り、生身の肉体を統御しつつ「信仰を守る」生理が映画の主題で、これは安易な恋愛物語よりもはるかに奥が深く感動的であるはずだが、凡百には永久に分からない懊悩でもある。しかし、この映画は悲喜劇なので、そのむつかしい主題をわれわれ凡百にも共感とともに窺い見させてはくれるのである(本稿を読まれる方には必見の映画かもしれない)。

「性行為=子孫増殖」への絶対戒律が凝り固まって、神父らの不犯違反が、異性ではなく「少年愛(ペドフィリア)」に集中する傾向を生む――聖歌隊などの少年に性的なアプローチを図る聖職者が跡を絶たないのだ。せめて、性行為を子孫増殖とは無縁な方向へと逸らせたいのか? 時あたかも、神父らの不犯違反に厳しい措置をとった枢機卿(シカゴ)が、膀胱癌で没した。シカゴの前任枢機卿はリベラルだったが、この枢機卿は保守で、前述の「ヴァティカン2」以後の保守化の激変が、世界の津々浦々で起きていることが分かる。

さらには、カトリックは信徒らにもセックスでは最大の難題を課した。夫婦間ですら避妊具や避妊薬の使用を禁じたのである。つまり、性行為はあくまで子孫増殖が目的で、肉欲をほしいままにしてはならないとしたのだ。

冒頭で触れた離婚後に同棲したカップルでも、「聖体拝領」ができるのは、2人が性行為を抑制、「兄と妹の関係」である場合だけとされている。翻って、これだけ性行為を意識する過剰さは、やはり自然な生活形態を破壊せざるをえない。

この傾向は、マリアの「処女懐胎」に現れており、カトリックの聖母信仰の基軸をなしている。マリアは「聖霊が彼女に影を投げかけてイエスを懐妊した」とされる。フロイトは、「なぜ禿鷹が赤子のレオナルド・ダヴィンチの口に尾羽を突っ込んでかき回したか?」への回答を、中世、雌の禿鷹は空中で膣を開いて、空気を吸い込んで懐妊すると信じられ、この猛禽は「処女懐胎」のシンボルだった事実から説き起こした。ダヴィンチはゲイだったのである。そして、赤子の自分の口に禿鷹が尾羽を突っ込んでかき回したと言い張って聞かなかった。

なお、ダヴィンチが言い張って聞かなかった禿鷹の記憶は、赤子時代であり、とうてい事実とは思えないが、三島由紀夫も産湯を使われたときの記憶を言い張っていた。このこだわりは、精神分析に値するが、筆者の目には「天才が自身の天才を主張する衝動」と映る。

●「他力本願」のカトリック、「自力本願」のプロテスタント●

さて、性行為を子孫増殖だけに限定する至上命令は、幼児の死亡率が異様に高かった19世紀までは現実性があった。女性は1人で生涯に10数名の子供を生んだから、生殖年齢中は毎年妊娠・出産を繰り返していた。彼女らのこの「苦行」こそ女性差別の根源だが、悲惨さはこれだけ生んでも生き延びられた子供はよくて半分、大半が平均3分の1だったことだ。

ところが、20世紀以降、医療の発達で幼児の死亡率が激減すると、この慣習は現実性を失う。例えば、ケネディ統領夫妻は、4名しか子を生まなかった(教理に反しても計画出産方式を選んだのは歴然としている)。とはいえ、長女は死産、次男は未熟児で誕生2日後に夭折と、今日の医療の恩恵から見放されていた。他方、弟のロバート夫妻は11名を生んだ。ケネディ兄弟の両親は、9名の子をなした(大統領は次男、ロバートは7番目の子)。兄弟の親夫婦、そしてロバート夫妻はいずれも、カトリック本来の戒律を固守したと思われる。

『ニューヨークタイムズ』コラムニストのティモシー・イーガン(アイルランド系。彼については第1部で言及)は、実母が8人目の子を宿したとき、懊悩のあげく、医師と司教に相談、前者から「止めなさい」、後者から「止めるとはとんでもない」と言われた。ティモシー自身は6人目の子供だった。それでもアイルランド系の居住区では、イーガン家は少ないほうで、子供12人、14人という一家があった。兄弟で野球やフットボール・ティームが組めたのである。

イーガンは1954年生まれの60歳なので、カトリックの多産は彼の親の世代まで続いているわけだ。この事態に、教皇フランシスコは、どう対したか?

教皇は2015年1月早々、フィリピン訪問からヴァティカンに戻ると、「カトリックのよき信徒がウサギなみであることはない」と発言した。むろん、多産への戒めである。教皇はさらにこう言ったとされている。「数カ月前、8番目の子を宿した女性に会った。それまでの7人は帝王切開で生んだ。しかし、彼女はこの7人を孤児にする覚悟で手術を受けたのかね? これは神意を試す問いではあるまいか?」。

第1部とこの部では、フランシスコの政治姿勢がガラリと異なる印象を受けるが、教皇になって以来の彼の開明的変容は、この多産への戒めにも表れている。

筆者は帝王切開は7回もやれないと聞いているのだが、教皇はこれは極めて危険な選択だったことを示唆していたのである。後に教皇は、「産児制限やコンドーム使用が本意ではない」と断ったが(カトリックは避妊薬とコンドーム使用厳禁。教義で認められた産児制限は基礎体温法などだけ)、後述する「教皇からの電話」同様、彼の現状打開への瀬踏みの1つかとも思われるのである。因みに、『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、イーガン自身は、子供は2名だが、多産を強いられた実母のような女性の苦悩を理解しない教会のドグマに深い当惑を表明する。

他方、周知のように、カトリック僧侶と違って、プロテスタント牧師は妻帯を認められている。悪魔を心の中から締め出すという、自力本願の最大の苦行ゆえに、不犯の戒律は放棄したのである(2つも人間技を越える苦行を自らに課すことは諦めたのだ)。性行為が子孫増殖以外に、人間の精神を肉欲で満たし、眠りを恵んでくれる側面に着目した事実は、プロテスタント牧師らは秘して語らないが、それこそが性行為の本来である。キリスト教徒が目指す「天国への上昇」では肉欲は否定されるが、「地上」にあるかぎり、肉体の呪縛を逃れられない。つまり、子孫増殖の機能である性欲は、容易にこの世での快楽に通じており、この機能だけを躍起になって禁止しようとする自己矛盾こそ、カトリック及び一部のプロテスタント及び正教徒が陥った自縄自縛の根源だった。

地上の肉体が天上の神を希求して止まない生々しさは、フィリッパ・ジョルダーノ(1974年、パレルモ生まれ、メキシコに移住)の歌唱法に雄弁に表れる。歌声を発する際に口腔内をのたくる舌の動き、同時にひたと天上を振り仰ぎ、地上を逃れて天上の父なる神(アッバ)へと駆け登ろうとする意思――ここでは上記の「自己矛盾」が壮烈な合体を遂げている(彼女の歌唱法がクロスオーヴァと言われる本質)。

なお、アッバはアラム語で「ダディ、父ちゃん」の意味で、アラム語はイエスやパウロの使用言語だったので、彼らは「父なる神」をこう呼んだ。

前述の「ヴァティカン2」(詳細は後述)も、順序から言ってそれが契機となったとしか思えない1960年代後半のカウンターカルチャーも、この自縄自縛からの脱皮努力だったと言える。後者が唱えた「フリー・セックス」こそ、何世紀にもわたる性行為禁縛への反撃の鬨の声だったのだ。

因みに、キリスト教徒は自らの本籍地は「天国」で、この世はあくまで「寄寓地」と見なす。おそらく、ユダヤ教徒やイスラム教徒など、同根の一神教は同じだろう。「寄寓地」では肉欲、それの袋である肉体は「錨」に当たるが、この方面の信仰&宗教的解説はおそらくユダヤ教の密教部分(カバラ)にしかないのではないか。

そしてプロテスタントは、信仰はあくまで信徒と聖書のじかのやりとりと見なし、牧師制度は最小限度の補助手段とした。聖母マリアは神ではなくあくまで人間なので、信仰対象から外した(第3部で触れるように、「ヴァティカン2」では、カトリックの左派がマリア崇敬を指弾する)。プロテスタントは、カトリックの俗信における、「同じ人間の誼で神様にはよろしく頼まあ」というご都合主義を排して、父なる神、御子イエス・キリスト、そして聖霊の三位一体の緊張に満ちた、弓弦(ゆんずる)を張り詰めたような関係に的を引き絞ったのである。

そのくせ、牧師の結婚を認めた結果、その相互矛盾の緊張ゆえに「悪魔」の切迫を一層ひしひしと感じて、途方もない規模の巨大な自然界が広がる新大陸アメリカでは悪魔の存在が個々の人間の精神に「内在する存在」としての限界を突き破り、「外在化」されて今日に至っている――プロテスタントの「テレビ伝導師」ら(大半が「キリスト教右翼」)は、一層、悪魔の外在化を徹底させた。

この場合の「悪魔」は、牧師の妻帯を認めた後ろめたさによって増殖された。

以上、人間精神は暗黒との見方を前提として幾多の補助手段を温存させてきたカトリックを「他力本願」、人間精神は自らの意思で制御統治すべきとして可能なかぎり補助手段を切り詰めプロテスタントを「自力本願」に、それぞれ類別できるかと思う。

さらに重要な余談は以下のものである。すなわち、産業革命の始発点(大英帝国)と拡大の迅速さがプロテスタント圏内(主に宗教改革の始発点だった北部ドイツ)に集中したとされるのも、自力vs他力の確執では前者が勝ったとの解釈に繋がっている。産業革命が正教徒のロシアに及ぶのは100年後で、明治維新を断行した非キリスト教圈の日本と時期的に変わらない。

ロシア側の産業革命への反発は、以下の挿話で推し量られる。産業革命の精髄、ロンドンの総ガラス張りの「水晶宮」で開催された世界万博に来たドストエフスキーが、「これはついに達成されてしまった理想ではないか?」と深刻なショックを受け、「これを否定するにはこれまで以上の否定精神をフル稼働させねばなるまい」とホゾを固める(『夏象冬記』1863)。「水晶宮」は、作家の『地下生活者の手記』(64)でも破れかぶれの主人公の「否定精神」の最終標的として浮かび続ける(拙著『幻想の郊外――反都市論』第8章/青土社)。

ドストエフスキーは正教徒圈の人物ながら、科学の発達を「否定」しようとする精神傾向には、科学や啓蒙思想が信仰を破壊するとする宗教全般の傾向が露呈している。ロンドン万博に展示された工作機械その他が、精神を破壊する物質的怪物としか映らない心的傾向で、この防御性は保守思想の本来ながら、それゆえにロシアが日露戦争に敗れ、その衝撃からついにはがらりと一転、唯物主義の共産主義最初の政権登場の引き金を引いた。

以上、科学の進歩における推進力としてのプロテスタント、それへの「否定精神」として自らを規定するカトリック&正教会という対立図式は以下の例にも如実に表れている。筆者が訳したキース・ロバーツの、「歴史改変もの」の名著『パヴァーヌ』(筑摩書房文庫)では、スペインの「無敵艦隊」がエリザベス1世の寄せ集め艦隊を粉砕、以後のカトリック支配の世界は蒸気機関以外の科学の発達が厳禁され、中世が存続する光景が活写されている。この小説では、肝心のアメリカすらカトリック主導で、20世紀ついに起きた反カトリック革命の1拠点になりはするものの、本当の革命はブリテン島の南部、つまりアングロサクスンの集中地域で起こるのである。

(続。次回は、教皇フランシスコの改革はついに世界司教会議の場へ持ちだされる。教皇はカトリック改革を押し進めることができるのか、それとも保守派の巻き返しの前に挫折するのか。第7回「アメリカ的人間としてのカトリック信徒と初のアメリカ大陸出身・新教皇(3)――アメリカの尼僧たちの造反、「ヴァティカン2」、「家族についての世界司教会議」です。お楽しみに!)

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越智道雄 (おち・みちお)

1936年、愛媛県生まれ。明治大学名誉教授。英語圏の文化研究の専門家であり、とりわけアメリカ文化・社会の研究で名高い。著書は、『<終末思想>はなぜ生まれてくるのか』(大和書房)、『ワスプ(WASP)』(中公新書)、『ブッシュ家とケネディ家』(朝日選書)、『ヒラリー・クリントン――運命の大統領』(朝日新書)など多数。また翻訳書も多数あり、ザヴィア・ハーバート『かわいそうな日本の私』(1-11、サイマル出版会)で日本翻訳出版文化賞、ローズマリー・ハリス『遠い日の歌が聞こえる』(冨山房)で産経児童出版文化賞を受賞している。

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