第八回 過去の自分が疼く


 障害のなかには、慢性的な痛みを伴うものがあります。痛みは、体との関係に大きな影響を与えます。
 たとえば中途障害においては、障害を得てしばらく、新しい体に慣れて、それを使いこなす方法を身につけるプロセスがあります。痛みがなければ、新しい体に馴染むそうした過程も、比較的前向きに取り組むことができるでしょう。けれども痛みがあると、そうはいきません。痛む体は異物のように感じられ、私にとって受け入れがたいものになってしまいます。
 今回は、難病患者の鄭堅桓(チョン・ヒョナン)さんのケースをとりあげます。チョンさんは12年前に慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)を発症。以来、体が慢性的に痛むようになります。最初は、夜中に「足を切ってくれ」と家族に頼むほど苦しむ日々でしたが、8年ほどかけて痛みの感じ方が変わり、「体がようやく自分のものになった」と言います。
 チョンさんがどんなふうに痛みとつきあい、またそれがどう自分の体との距離感を変えたのか。今回は、記憶と体の問題を考えるうえで避けては通れない、「痛み」の問題に迫ります。

夏は焚き火、冬は針に刺される痛み

 チョンさんが12年前に発症したCIDPという病気は、神経をつつむミエリン鞘という組織がはがれていく病気で、日本で患者数2000人ほどの難病です(2008年報告)。一度かかって治る人もいれば、チョンさんのように再発する人もいる。ちなみにチョンさんはもともと看護師をしていたので、インタビューのときにも、体の組織や薬の種類について、すらすらと説明をしてくれました。
 ミエリン鞘がはがれることによって神経がむき出しになってしまうので、全身の末梢に痺れが生じます。チョンさんの場合には、足に強い痺れがあり、いつもジンジンしている感じで、慢性的に痛みます。足だけでなく手と顔にもうっすらとした痺れがあるとのこと。そのほか、筋肉も痩せてしまい、右手の握力が20kg、左手が13kgほどしかありません(成人男性の標準的な握力は45-50kg)。
 痺れに加えて、運動の障害があります。その症状の出方は非常に謎めいていて、たとえば意識して目の前のコップを取ろうとすると、コップにとどく手前で手がぶるぶると震え出して、最後までリーチできなくなってしまいます。手が緊張して固まるというよりは、大きく暴れ出すような状態で、「ちっちゃい子供が言うことを聞いてくれない感じ」。でも、コップを見ないで、何気なくならば取ることができる。視覚からのフィードバック経路が働かなくなることによって、運動調整の負荷が減ると考えられます。
 そのほか、両腕を上にバンザイすることはできるけど、そのまま下ろすことができない。でも右か左、どちらか一方ずつであればスムーズに下ろすことができる。あるいは右手で箸を持つことはできるのに、スプーンになると震えが大きくなって持つことができません。一方左でだと、箸でもスプーンでも問題なく持つことができます。視覚的なフィードバックの有無、左右差、遠心的な動きと求心的な動きなど、さまざまな条件があいまって、チョンさんの体はできることとできないことの区分けが非常に複雑です。
 運動障害もとても興味深いのですが、今回はひとまず痛みの問題にフォーカスしましょう。先に書いたように、チョンさんにとって最も大きかったのは、足の痺れるような痛みでした。
 足の痛みは、夏と冬で変化があると言います。「夏場は焚き火を燃やしているところに足をずっと突っ込んでいる感じ」。同時に腫れる感じもあったようで、「熊みたいな足になっているんじゃないかと思って、最初はよく確認していました」。逆に冬は、刺すような痛みになると言います。爪と肉のあいだを「針でチクチクされている感じ」とチョンさん。「全部の指をチクチクされています。電気が走るような感じで、歩くために踏み込むと、ときどき痛みが広がります」。
 夏の焚き火と冬の針。血流の違いなどの要因が影響して、季節ごとに痛みが変化することは、痛みが紛れもない生理的な現象であることを実感させます。しかし同時に興味深いのは、痛みを説明するチョンさんのイメージの豊かさです。しかもそれは、単なる比喩を超えて、「熊みたいな足になっているんじゃないかと見て確認してしまう」ほどに、本人にとっては現実に近い感覚として感じられている。幻肢痛のインタビューでも感じることですが、痛みを持つ当事者にとって、痛むことの一部にイメージを持つことが含まれているケースがあります。痛みは確かに生理的な現象ですが、同時に、それをどうとらえるかというイメージや解釈といった「意味」の側面、より広い言い方をすれば「文化的」な側面を持っています。

これは自分ではない

 さて、そんなチョンさんの足の痛みは、発病してしばらくの間は、変化はあるとしても痛みそのものが弱まることはありませんでした。夜も痛くて眠れず、薬もまったく効かなかったそうです。一瞬たりとも痛みから自由になる方法がなく、どこにも出口が見えない状況。病気そのものの治療法が見つかっていない以上、「いつかは解放される」という希望を持つこともできません。チョンさんは言います。「この痺れが一生続くと思うと、わーっと爆発するような感じでした」。
 一縷の望みでもあればすがりたい、という気分だったことでしょう。でもそれすらもないとき、チョンさんは、「この痛みから逃れられる方法が死であるならそれでも構わない、と思うこともあった」と言います。特に夜も眠れないのが辛く、「家族を起こして、『足を切ってくれ』と頼んでいた」。ただ楽になりたい、その一心だったのだと思います。出口を探してもがき苦しむなかで、家族にも辛くあたってしまい、会話も減ってしまったといいます。
 興味深いのは、発病してからしばらくのこの痛みの時期の、チョンさんの体との距離感です。「最初は、これはもう自分じゃない、自分の体はこうじゃない、という感じでした」。つまり、この思い通りにならない体を、自分の体だと認めることができなかったのです。それはとりもなおさず、かつての健康な自分、記憶のなかの自分の体の方こそを、本当の自分の体だと思っていたということでしょう。過去の自分の体を基準にして現在の体を評価していたために、「これは違う」と拒絶していた。
 連載の第一回目で、中途障害においては体が二重化しているという話をしました。記憶として持っている健常者として生きていたときの体と、現在の障害を得たあとの体が、ハイブリッドになって現在の経験を形づくっているのです。ところがこの時期のチョンさんは、記憶の中のすでにない体を、そのまま現在においても生きようとしていたことになります。現在の体の状態はあくまで「例外」であって、本来の姿でない。そう思うことが、少なくともその時期のチョンさんにとっては、痛みとつきあうための手段だったと考えられます。
 痛み以外の運動障害に関しても、同じように、過去の体を生きようとする感覚があったと言います。「コップなどを取ろうとする動きも、そうだと思うんです。自分では取れるはずなのに取れない、自分の体じゃないんだと受け入れられない感じです。なかなか向き合えなかったですね、戻りたいという一心があると」。
 過去の体にこだわる姿勢は、チョンさんのような難病の当事者にかぎらず、多くの中途障害者において見られる自然なものです。以前、先天的に腕が欠損している方が、「なぜ切断した人たちがあそこまで義手にこだわるのか分からない」と口にしていました。先天的に障害のある人は、その状態が自分にとっての「当たり前」ですが、中途障害の場合には、障害を持つ現在の体に適応するのは必ずしも容易ではありません。

鈍感さの獲得――「私の痛み」から「私たちの痛み」へ

 ところが8年ほどの時間がたったころ、チョンさんと体の距離感が変化し、同時に痛みの感じ方も変わってきたと言います。
 「症状じたいは変わらないんですね。でも、自分が変わっちゃった」。つまり、以前のようには痛みを感じなくなったのです。痛くなくなったわけではない。病そのものが回復しているわけではない以上、生理的な症状そのものも減っていない。けれどもその「意味」が変わってきた。「鈍感になった」とチョンさんは言います。
 きっかけの一つは、人前でしゃべる機会を得たことだと言います。学校などで、病気の経験について講演するようになったのです。そうしたことをするうちに、痛みが以前ほど気にならなくなったのです。
 興味深いのは、痛みの感じ方を変えたのは、講演によって「分かってもらう」経験をしたことではない、ということです。そもそも痛みはきわめて個人的な経験です。ある人の痛みを、他の誰かがまったく同じように味わうことはできない。「痛みは孤独感がある」とチョンさんは言います。「痛みってすごく孤独感があるんですよね。だんだん『どうせおまえにはこの痛み分かんないんだよ』という感じになってくるんですよね。自分だけが、この痛みを抱えている、と」。「分かってほしい」という思いがあればあるほど、「分からない」を突きつけられ、本人もまわりもいっそう苦しむことになる。
 チョンさんの痛みの感じ方が変わった背景にあったのは、逆説的にも、「すでに痛みは分有されていた」という気づきでした。講演をきっかけに自分や自分の置かれた環境のことを振り返るうちに、痛みをかかえているのはチョンさん本人だけではなかった、ということに気づいたのです。家族に目を向けてみると、子供がものを盗むのをやめられなかったり、十分に甘えられていないことは、すでに彼らなりに痛みを感じ、それに対処しようとしていることの表れではないのか。「だんだん、子供の盗癖が出たりして、ぼくだけが痛みを抱えているんじゃないということに気づいたんです。家族の中で、何か変化があったことで、みんなそれぞれ痛みを抱えながら、小さいながらも自分なりに進もうとしているのをまじまじと感じさせられたら、なんだろう、この『自分だけ』みたいなやつは、と気づいたんです」。
 「私の痛み」から「私たちの痛み」へ。注意すべきなのは、これが「共有」ではなく「分有」だということでしょう。家族は決して、チョンさんの痛みを自分のこととして理解したわけではない。あくまでチョンさんの病気との関連で自分に起こった痛みを、それぞれが生きている。「Our pain」ではなく「one’s pain」が相互に結びついて「Our」を形成している状態。家族に起こった病という出来事を、一人一人が、個々の仕方で分有しています。痛みが自分のものでしかありえないということを認めつつ、同時に「自分の」という人称から解放された視点に痛みという出来事を置き直すこと。こうしたことが、チョンさんの痛みに対する鈍感さをもたらしたと考えられます。

「献身」でも「突っぱね」でもなかった家族へ

 このような認識の変化が起こったのも、家族の良い関わりがあったからだ、とチョンさんは言います。その「良さ」とは、献身的ではなかったこと。チョンさんが夜中に「足を切ってくれ」と暴れても、奥さんは大した言葉を返してくれませんでした。「大丈夫? そんなに痛いの?」と声をかけることもないし、熱心にマッサージする感じではなかったと言います。
 でも、かといって突っぱねているわけでもなかった。奥さんは、チョンさんが子供に当たるとたしなめることはあっても、病気のことでチョンさんを責めたり、説教することはなかったそうです。要するに、チョンさんと病気の関係に干渉しなかった、ということでしょう。
 家族がそのような「献身」でも「突っぱね」でもない関わりをしていたために、チョンさんは「自分に問われる」感じがあったといいます。「自分が言った言葉が自分に跳ね返ってくるんですね。『そうは言ってるけど向こうは向こうできっと辛いことがあるはずだ、何なんだろう自分は』って、どんどん返ってくる」。
 チョンさんの爆発に対して家族が同じ力で返していたら、チョンさんは「自分の」痛みに囚われてしまっていたことでしょう。けれども家族がどこか他人事で「暖簾に腕押し」の反応であったために、チョンさんは自分と対話することになった。「自分に問われる、真剣に体と向き合える、という状況がありました」。「体と向き合う」とは、要するに、過去の体を生きるのではなく、今の体を生きるということを意味します。「僕自身が、前の状態に戻ろうとするところを、家族が『いやそれは無理でしょ』って諦めてたんですよね。がんばって社会復帰するような応援モードではなくて、今の体を受け入れろという感じでした」。
 諦めることによって救われること。チョンさんは、病気になった直後に奥さんが言ったある言葉が、いい意味での「縛り」になっていたと振り返ります。それは「病気になってよかったね」。チョンさんは在日朝鮮人3世であることもあり、もともと障害や差別の問題と関わりながらいろいろな活動をしていました。それを踏まえて奥さんは「このぐらいやっとけよ、ということなんだよ。箔がついてよかったね」という意味でそう言ったのだとチョンさんは感じました。「それで、悩みも全部ふっ飛ぶ感じがしました。これに何の意味があるのか考えろ、ということなのかな、と。僕はもとに戻ることを考えていたけれど、家族は『もう治らない、無理だからやめろ』という感じだったんです」。

 その諦めによって、チョンさんは自分の体を取り戻すことになります。「できないことを考えてふさぎこむんじゃなくて、今できることは何なんだろうと考えたら、いろいろ物事が動き出して、外にも出られるようになりました」。体の時間を過去から現在に進めることが、まさに痛みの感じ方を変え、生活や人間関係を変えたと言うことができます。
 痛みの感じ方が変わったことで、何と、さらなる痛みも感じられるようになったとチョンさんは言います。二種類の痺れを同時に感じる「痺れの二段構え」が起こるのだそうです。「痺れているんだけど、長く座っているとさらに別の痺れが生じて、痺れの二段構えになるんです。痺れてるのに、さらに痺れる(笑)」。
 ポイントは、こうした出来事を面白がれるようになったこと。「ぼくの体面白いでしょって言えるようになった。そんな感じに今はなれています」。体を取り戻すことと、体に起こる出来事を面白がる距離は、表裏一体です。
 ただし、こうした鈍感さは、体を騙すことになってはいけないとチョンさんは言います。我慢をするのではなく、辛いときは2、3日寝込んだり、痛いと言える場所が確保されていることも大切。チョンさんが発病する前から関心を寄せていた、べてるの家の向谷地生良さんの言葉を借りるなら「安心して絶望できる」ことが重要ということでしょう。
 痛みは生理的な現象であると同時に、意味の側面を持っています。それゆえ、その人の体の捉え方や周囲の人の関わりによって、痛みそのものがさまざまに変化します。自分の個別性を認めることが逆に痛みを自分だけのものでなくしたり、諦めることが体を取り戻すことにつながったり、痛みのまわりには、体と私の関係をめぐる興味深い出来事がつまっています。

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伊藤亜紗(いとう・あさ)

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。もともとは生物学者を目指していたが、大学三年次に文転。2010年に東京大学大学院博士課程を単位取得のうえ退学。同年、博士号を取得(文学)。著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版)がある。同時並行して、作品の制作にもたずさわる。

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