最終回 トワイライトの中の力学


 すこしだけ、目をつぶってまわりの音に耳をすましてみましょう。
 かすかな音の中に、過去へ過去へと過ぎ去っていく時間を感じるでしょう。
 この世の中にあるすべてのものは、かたときもとどまることをせず、変化しています。

 ふたたび目をあけてまわりを見まわすと、何かがかわっています。世界は、いつも移ろい動いています。

 その自然界の変化の中に、法則性を探し求めながら、その中で、私たちの人生の意味を問いかけることが、生きているということなのでしょうが、そのための知識を与えてくれるのが、自然科学、とりわけ物理学です。
 なぜなら、私たち人間も、自然の中で、自然によって造られた存在なのですから、自然のからくりを知ることが、私たち自身を知るための手がかりになるからです。

 「自分」という単語も、実は、“自然”の「自」と“分身”の「分」をあわせた造語だと考えると、はっきりしますね。

すべて、力学の問題

 そのような物理学の中でも、物体の変化や動きを取りあつかうのが、力学と呼ばれている分野で、物理学全体の、いちばんの基礎になっている領域です。
 これまで、お話ししてきたのは、その力学のいちばん基礎になることがらをまとめたものです。

 さて、私たちのまわりには、見えないものがたくさんあります。
 電気もそのひとつです。
 しかし、その正体は、大きさが1㎜の100兆分の1以下の小さい粒子だということがわかっています。
 これを「電子(エレクトロン)」と呼んでいます。
 電気量の原子に相当するもので、マイナス電気の性質をもった電気量の単位のようなものです。くわしいお話は、また別の機会にゆずりますが、電線の中を流れる電流も、電車を動かす力のもとになる電気力も、すべて、この電子の動きから生まれるものです。

 ということは、電子も、1gの1000兆分の1の、そのまた100兆分の1の「重さ」をもった粒子[りゅうし]、つまり、粒「つぶ」なのですから、ちょうど、私たちの目に見える世界で起こっている粒子のように振舞っています。
 もちろん、もっときびしくいえば、電子は「波」のような性質ももっていますから、少し複雑な動きにはなります。しかし、基本的には、すべてニュートンが発見した法則を使って、いろいろの現象を解き明かすことができます。
 これも、力学です。「電気」のことも、「力学」が基本になって解けるということですね。

 ところで、今、「波」のことに触れましたが、私たちが見ている水の波は、実は、水という物質がゆらゆら動く現象です。
 ですからこの現象も、「1㎝3あたりの重さが1gあるような物質」が、ニュートンの運動法則にしたがって動いているとして、きれいに解くことができます。

 空気の中を伝わる波についても同じです。
 なぜなら、前回(第9回)お話ししたとおり、空気にも重さがあって、同じような運動の法則にしたがって動いているのですから、風の力についても、同じように力学の問題として解くことができたのです。
 そして、「物体が振動すると、その振動がまわりの空気に伝わって、周囲にひろがっていく現象」が、「音」です。つまり、音の性質を考えるのも、力学が基本になります。
 ここで、空気も、窒素[ちっそ]や酸素といったような小さな原子、分子でできていますが、全体を平均して、“かたまり”として考えれば、すべて、力学の問題として解けるのです。

光は、波か、粒か

 光についても同様です。
 それは、「光も波の性質をもっている」からです。そのことは、たとえば、小さな穴から光がもれてくる場合を調べてみると、ちょうど、港につくられた防波堤の隙間[すきま]から海の波が入りこんでくる時とそっくりの動きをします。
 すなわち、防波堤の隙間から入り江の中にむかって、まんべんなく広がるという現象です。

 たとえば、水の上に小石を投げたとき、周囲に波紋[はもん]がひろがる光景を思い出してくださいね。
 また、レンズに入った光の進路が曲がることを「屈折(くっせつ)」といいますが、海の波も、障害物[しょうがいぶつ]があると、そこで、同じように進路を変えます。
 このことから考えると、光も、「波」だと考えることは自然なことです。

 ところが、その光にも、不思議なことに「波」の性質のほかに、「粒子」の性質を持っていると考えないかぎり、説明がつかない現象があります。
 しかし、だからといって、光は「波」であって、かつ「粒子」でもある、ということではありません。この問題は、近代から現代にいたるまで、世界中の物理学者をなやませてきた大問題でした。

 たとえば、遠くの星がなぜ見えるのかということを考えてみましょう。
 星が見えるということは、まぎれもなくその星を旅立った光が、何千年、何万年という長い時間をかけて、宇宙空間を旅してきて、そして、あなたの目のところにとどき、その光のエネルギーが、視神経[ししんけい]を刺激して、そこから発生した電気信号が、脳に伝えられて、光を感知するということです。

 ところが、ここで、困ったことが起こります。
 もし、光が「波」であるとするならば、星を旅立った光は、周囲にまんべんなく広がりますね。ということは、星から出た光は、遠くに行くにしたがって、どんどん弱くなってしまいます。
 きちんといえば、距離が2倍になれば、光の束[たば]は4倍に広がりますから、単位面積あたりの光の強さは4分の1に弱まってしまいます。この考えをもとにして、
 「もし、太陽と同じくらいに輝いている星の光は、どれくらいのところまで見えるだろうか」
ということを、計算することができます。
 その結果、1光年離れてしまうと、私たちの目が感知できないほど、光が弱まってしまうことがわかります。
 ところが、現実の星は、太陽くらいの星が100光年離れていたとしても、はっきりと見ることができます。
 なぜでしょう。さあ、困りました。

 このような矛盾[むじゅん]が起こってしまったのは、光が、かりに「波」だとしても、いつも私たちが見ている「水の波」とは違ったものだということを示しています。
 つまり、「どこまで飛んでいっても、エネルギーが弱くならない」ためには、光が「波のように広がる」のではなく、「粒のようなエネルギーのかたまり」だと考えればいいですね。

 実は、光が、このように「粒子の性質」をもっていることを予言したのが、アインシュタインです。1905年のことでした。
 そのあと、実験的に確かめられて、この“光の粒”のことを「光子[こうし/フォトン])」と呼ぶことになりました。

 しかし、私たちの日常生活の中では、依然[いぜん]として、光は「波のように」ふるまっています。その一方では、星が見えるためには、光は「粒子」でなければなりません。
 では、「波」と「粒子」は、同じなのでしょうか?

関わりをもとうとすれば必ず相手の状態を変えてしまう

 その答えは、光は「波」でも「粒子」でもなく、「光そのもの(?)」だとしかいいようのない不思議な存在だというところにあります。
 つまり、「波」だといったのは、光を調べるときに、「波」の性質を調べる測定装置を使ったからだったのです。「粒子」だといったのは、光をひとつ、ふたつ、と数えられるような測定装置を使ったからだったのです。
 先ほど、粒子としての電子も、波の性質をもっているといいましたが、これも測定装置がからんでくると、粒子から波へと姿を変えるということだったのです。
 原子、分子のような極微[きょくび]の世界に特有の現象です。

 さあ、たいへんなことになりました。
相手の性質を調べるときに、調べる方法によって、相手の姿が違って見えてくるということですね。
 ここで、ひとつの面白い例を紹介しましょう。
 あなたが、誰かの写真をとりたいと思ってカメラを向けたとします。相手は、その瞬間、緊張して、あなたのとりたい顔とは違った顔になるかもしれません。あるいは、相手の気持ちを知りたいために、その相手に何か聞くことによって、相手の気持ちを大きく変えてしまうことすらあるでしょう。
 相手との関わりをもとうとすれば、相手の状態を変えてしまうということですね。

 ここに、現代物理学への入り口があります。
 これまで勉強してきた内容は、ニュートンによって築き上げられたニュートン力学が基本になっていました。しかし、電子(エレクトロン)や光子(フォトン)、あるいは、原子や分子などといったような超ミクロの世界を調べるには、見るものと見られるものとが、たがいに作用しあうことを考えながら調べていかなければなりません。
 そのためには、新しい力学が必要で、それが「量子力学」という分野なのです。
 しかし、その基本は、あくまでも、これまでお話ししてきたニュートン力学だということを忘れないでくださいね。

 さて、第9回のお話の中で、水の中にインクを一滴[いってき]たらすと広がって混ざることから、水もインクも小さな粒々からできているらしいことを、お話ししました。
 ひとことでいってしまえば、この世の中にあるすべての物質は、「原子という小さな粒」からできています。
 その原子の真ん中には、「原子核(げんしかく)」とよばれるかたい芯(しん)があって、そのまわりを電子がまわっています。というより、電子の雲がとりまいているといったほうがいいかもしれません。
 そして、原子核は、プラスの電気を帯びた陽子(プロトン)とよばれる粒子と、電気をもたない中性子(ニュートロン)と呼ばれる粒子からできています。
 つまり、原子核のプラス電気と、そのまわりの電子がもっているマイナス電気の量は同じで、“原子全体では、いかにも電気をもっていないかのように”見えています。

 しかし、二つの物質をこすりあわせたりすると、その摩擦[まさつ]で、一方の物質にふくまれる電子が、もう一方の物質にのりうつります。
 このとき、「電子がぬけた物質」は原子核のプラス電気の量が多くなってプラス電気を帯びることになり、「電子が飛び移ったほうの物質」は、その電子によってマイナス電気の量が多くなり、全体としてマイナス電気を帯びたりします。
 これが摩擦電気の原理で、雷の原因です。夏の暑い日など、地上の温度で熱せられた水蒸気が上昇して雲になりますが、その雲の中の水分子がぶつかり合いながら、電子のやりとりをして、プラスとマイナスに分かれます。それらが、ふたたびいっしょになるときに火花が散って、雷になるのです。

「原子」と「宇宙」は“からっぽ”同士

 さて、ここで原子の構造を確認しておきましょう。
 おおまかにいえば、原子の真ん中にある原子核をピンポン玉くらいの大きさだと考えれば、いちばん外側を回っている電子の位置は1㎞くらい先です。つまり、中心の原子核と電子の間は、ほとんどからっぽなのです。
 あんがい、この世の中って「からっぽ」からできているのかもしれませんね。

 そういえば、この原子の構造は、どこか、太陽系の構造にも似ていると思いませんか。
 太陽をリンゴの大きさにすると、そこから10m離れたところに1㎜くらいの砂粒[すなつぶ]があったとして、それが地球です。
 その砂粒から1㎝離れたところに、もっと小さいお塩の粒があります。それが、月です。
 火星は15m、木星は50m、土星は96m、海王星は300mくらいのところを回っています。
 そして、いちばん近い恒星、つまりケンタウルス座のα星までの実際の距離は4光年ですから、今、地球をリンゴでたとえている縮尺で考えれば、なんと、3000㎞になります。

 こうして考えてみると、宇宙の姿もカラッポです。
 最近の宇宙研究の成果から、宇宙の中にどれくらいの物質がつまっているかといえば、地球くらいの空間にアリが3匹くらいです。
 しかし、そのからっぽに見える宇宙空間には、目に見えない暗黒物質とか、暗黒エネルギーのような、いまだ解明されていない“目には見えないなにか”があるようです。


 それにしても、ごく小さな原子から果てしない宇宙まで、なんとなく似た構造をしているのが、不思議ですね。
 そのような全世界の構造を明らかにする学問が物理学で、その基本が力学なのです。
 地球の運動や、銀河の動き、あるいは、星の中の温度とか圧力、輝く色合いなど、天体の姿を調べる基本も、すべて力学です。

 宇宙の大きさとは、まず「1」と書いて、そのあとに「0」が「26こ」続く「㎞」くらいの大きさです。
 そして、宇宙をつくっている基本粒子たちの大きさは、「0.」と書いたあとに、「0」を「15こ」くらい続けて「1」と書いた「m」ほどの大きさです。
 その真ん中あたりに、身長1mちょっとの私たちがいて、宇宙に想いをはせています。

「人間」がいなければ「宇宙」もない……

 宇宙が誕生してから、今まで過ぎた時間は「1」と書いて「0」を「18こ」続けたくらいの「秒」です。
 また、この世の中でいちばん早い光が、いちばん小さい電子をよこぎる時間は「0.」と書いて「0」を「23こ」続けて「1」と書くほどの短さです。

 その真ん中に、私たちの人生があります。
 その長さの単位は、心臓の一打ち、つまり1秒です。
 空間についても、時間についても、広大無辺な巨大宇宙と、原子分子の微小宇宙とのちょうど中間に、私たち人間がいます。
 そして、宇宙全体のことを自由に想像しているのが人間です。
 そのように考えると、人間という存在が、とても不思議に思えてきますね。
 また、そんなことを考える人間がいなければ、宇宙があるのかないのかさえもわからないのですから、結局、考える能力をもつ人間がいるからこそ、宇宙が存在しているのだ、といえるのかもしれません。

 その宇宙の基本にふれるためのレッスンのはじまりが、この力学の基本を学ぶことでした。
 これらの先には、電磁気学、波動、光と音、原子分子、素粒子、宇宙論などがひろがっていますが、すべて、今まで、お話ししたことが基礎になっています。

 いつの日にか、それらの話題について、みなさんにお話しする機会があるかもしれません。そのときに、また元気でお目にかかりましょう。《完》

*佐治先生のこの連載は、まとめて、春秋社より書籍として刊行の予定です。

   第九回へ

ページトップに戻る

佐治 晴夫(さじ・はるお)

1935年東京生まれ。理学博士。鈴鹿短期大学長。大阪音楽大学院客員教授を兼任。元NASA客員研究員。東大物性研究所、玉川大学を経て現職。量子論に基づく宇宙創生理論「ゆらぎ」研究の第一人者。NASAのボイジャー計画、“E.T.(地球外生命体)”探査にも関与。また、宇宙研究の成果を平和教育のひとつとして位置づけるリベラル・アーツ教育の実践を行ない、その一環として、ピアノ、パイプオルガンを自ら弾いて、全国の学校で特別授業を行なっている。主な著書に『からだは星からできている』『女性を宇宙は最初につくった』(ともに春秋社刊)など。

Web春秋トップに戻る