最終回

長い道のり

 いったいこれまで何通の手紙を書いたことだろう。カオリにばかりではない、黒木や黒木の両親にも手紙を書いた。しかし黒木とその親は、返事すらよこさなかった。カオリは内容はともかく返事を書いてよこしたのに、あの親子は人間として許せない。親子そろってまったくなってない、とノリコさんは憤った。
 カオリからの手紙の束は後生大事にしまってある。もう何回読み返したことだろう。ほとんど暗記してしまったほどだ。いったいなぜこのような馬鹿げた行為に及んだのか、黒木たちがどのようにしてカオリをたぶらかしたのかを文面からせいいっぱい推測した。そしてノリコさんなりに反論もし、今後の対策を練ってきた。
 宗教も精神科医も利用できるものは何でも使おうと、手当たりしだい探してきた。残念だったのは、優しい娘を結婚相手とその親に奪われてしまった母親の悲劇を、誰ひとりとして理解してくれなかったことだ。例外はある宗教団体の幹部だった。お嬢さんはいずれ目が覚めるはずだ、母親を捨てるなどという人の道に外れたことをしていれば必ず罰が当たると断言してくれた。しかしその宗教活動を続けるにはあまりにお金がかかりすぎるので、断念した。精神科医も以前述べたように挫折した。
 そのような長い道のりを経てノリコさんはわたしの前に現れたのだった。

背後にひっそりと

 懇願されて、娘からきた何通かの手紙のコピーに目を通した。明快な論旨の文章だったが、一生懸命抗議しているぶんだけ、文字の裏側からは悲痛な感情が浮かび上がる。もうこれ以上近寄らないでほしい、私は幸せな人生を送ろうとしているので自由にさせてほしい、初めて自分の人生を歩めるようになった……。感情に流されまいとする痛々しいほどの努力がなければ、書けない文章だ。おまけに、ノリコさんを拒絶しながらも、最後の詰めの部分では母への思いやりと傷つけまいとする配慮を忘れてはいなかった。いったいどれほどのエネルギーを費やして書かれたものか、書き終わった後の罪悪感と疲労感はいかほどのものだろう、と読み進みながら胸を打たれる思いだった。まだ見ぬカオリという名の娘が、目の前で圧倒的存在感を示しながら座っているノリコさんの背後にひっそりと立ちすくんでいるかのような錯覚に襲われた。

ゆるぎない確信

 気を取り直して、ノリコさんに質問した。これまでずっと「私が悪い母親だったんです」「私が子育てを間違えた」というフレーズをまるで接頭語のように繰り返すことに正直辟易していたので、具体的に反省内容を確認しようとした。
「いったいどんな点が悪い母親だったとお考えでしょうか」
 ノリコさんは、ためらわず即答した。
「母親なのに、あの子の気持ちをわかってあげられなかったことです」
「どんな気持ちだったと思われるのでしょうか。現在ならお嬢さんの気持ちをわかってあげられるとお考えですか」
「それは大丈夫です。この四年間私も苦しみながら考え抜いてきましたので、カオリの考えていることはちゃんとわかってあげられると思います」
 自分は娘のすべてを見通せる存在であるというゆるぎない自信は、どこから生まれてくるのだろう。これほどまでに意を尽くして書かれた手紙を読んでもいっこうに崩れることのない自信は、この中年女性のどこに胚胎しているのだろう。半ば想像していたこととはいえ、その確かさと堅固さに好奇心すら覚えた。

完璧な反論

「なんとか私の気持ちをカオリに効果的に伝えられる方法はありませんか? いくつか誤解されている点がありますので、正しい真実を伝えてあげなければと思うんです。あの子はうつ病に間違いありませんので、感じ方がちょっとだけゆがんでいるのはしかたないんです。だけど、母親しか言ってあげられないことがあるんです」
 そう言っておもむろにノリコさんは、少し古びたブランドバッグの中からプリントアウトされた手紙の下書きらしきものを取り出して私に渡した。
 書かれてある内容は、想像を超えるものだった。最初から最後まで、カオリの手紙に対する反論と、いかに自分が苦労をして娘を育てたかの説明に終始していた。特に「あなたはひょっとして私の弁護士としての人生に嫉妬しているのではありませんか?」というカオリの手紙の一節に対しては、延々と激しい反駁が記されていた。「母親の主張を受け入れるために、おしゃれも我慢していた」という一節に対しては、自己主張の下手な娘のためにどれだけ心を砕いてきたか、自分こそ買いたいものもがまんしてあなたのためにお金を投資してきたのだ、と一蹴している。
 まるで大学院のゼミで参考文献を批判的に検討しているかのような、具体的で完璧な反論内容を読んでいるうちに、話を聞いている時にはわからなかったノリコさんの思考力と表現力にきづかされた。生まれた時代がもう少し遅ければ、ノリコさんはこの能力を仕事に発揮することもできただろうし、そこそこの業績を上げることも可能だっただろう。そして皮肉にも、カオリの理知的な思考法の源泉のひとつはノリコさんから受けついでいるような気がしたのだ。

カウンセラーを利用する

 言葉にして表現されることとされないことがある。カウンセリングにおいて無意識に生じているものを解釈することを私は避けているが、それでもノリコさんの長文にわたる完璧な反論内容を読むと、カオリの離反と手紙による宣言がどれほどノリコさんに深刻な打撃を与えたかを表しているように思われた。しかし、それをノリコさんに伝えることは避けた。
 なぜなら、ノリコさんはこれ以上一歩も動こうとしないだろうと思ったからだ。カウンセリングにやってきた理由はたったひとつだ。接頭語めいた言葉とは裏腹に、とにかく自分の考え方を支持してもらい、それを効果的にカオリに伝える方法を教えてもらうためだった。それに力添えをしてくれるカウンセラーとして私が選ばれたというわけだ。
 このような動機でカウンセリングを訪れる人はめずらしくない。むしろ一般的といってもいいだろう。カウンセラーに対する期待とその対価としてのカウンセリング料金は、私たちの仕事を成立させている基本的構造である。
 しかし、クライエントである彼女を支持できるかどうか、支持するかどうかは私にかかっている。

サティアン

 ノリコさんの主張は明快である。
 カオリはうつ病だから、このようなゆがんだ主張を繰り返している。まったく理にかなっていない主張なのではっきりと糾しておかないとますます判断が狂ってしまう。すべては黒木との結婚から狂い始めた。黒木とその両親が自分の悪口をあることないこと吹き込んだために、素直なカオリはすっかり洗脳されてしまったに違いない。あのサティアンのような場所からカオリを一刻も早く引き離さないと、手遅れになるだろう。弁護士としての仕事も休職が長引けば不利になるので、なんとか実家に戻したい。そうすればカオリは以前のような素直でまっとうな娘に戻るはずだ。カオリの仕事を支援することは少しも苦ではない。これまで同様にカオリのために尽くしてあげる覚悟はできている。
 このストーリーはカウンセリングにやってきた当初から寸分の狂いもなく維持されてきた。私の口からこのストーリーを復唱してみせると、ノリコさんは感嘆しながら満足気な笑みを浮かべた。
「さすが先生ですね」

ふつうのことをしてきただけ

「カオリさんが封を切ってくれるかどうか、まずそれが疑問ですね。手紙を手に取ってもらうために何より大切なことは、ノリコさんのどこが悪かったのか、どう反省したのか、今後はどうしていくつもりかが具体的に書かれている必要があります。下書きを読んだ印象からは、それがまったくうかがえません。それどころか、自己弁護と正当性の主張、つまり言い訳に終始しているように思えます。手紙は不思議なもので、封を開けなくても、なんとなく内容が伝わるものです。今の内容ではきっとカオリさんは封筒を手にとることもしないでしょう」
 伝えるべきことをためらわずにはっきりとノリコさんに伝えた。言い訳や自己弁護などと言われ、しかも娘に読んでもらうために必要なポイントまで指摘されたことで、一瞬ノリコさんはひるんだように見えた。しかし、すぐに体勢を立て直して私の顔をまっすぐに見据えた。
「でも先生、私のしてきたことってそんなひどいことだったんでしょうか。正直言って、私は世間の母親並みのことをしてきただけなんですよ。ごくふつうのことじゃないでしょうか。それなのに、こんなに責められるなんて、カオリの考え方がゆがんでしまったに違いないんです」

黄金律

 途中からは訴えるように、すがるようにノリコさんは語った。
 私は心の中で快哉を叫んだ。思い切った直言は、この言葉を聞くためだったといっても過言ではない。ノリコさんは極めて正直に語っている。つまり世間やふつうに従ってきただけなのに何が問題なのか。同じことをどの母親もやっているではないか。自分だけが間違っているはずなどない。だからカオリもそれに従うべきだ、と。
 これは一種の黄金律だ。これを適用すれば、カオリさんの手紙の数々はあっという間に色あせてしまうだろう。おそらく現在も日本中の空気に瀰漫[びまん]している「ふつうの母親」像とは、この黄金律を背骨にしているのだ。
 言語化できないけれど確実に存在している黄金律に従うか、それともカオリという娘の苦しみに寄り添うか。どちらの立場に立つかで、まったく判断は異なってくるだろう。それほどノリコさんとカオリの主張のあいだには、深い溝がある。ノリコさんにはその溝は見えず、カオリだけにそれは見えている。

あやまること

「カオリさんを動かす力は私にはありませんし、そんな名案などないことはおわかりでしょう。たったひとつあるとすれば、繰り返しになりますが、どこが悪かったか、どのように反省しているかを具体的に書くこと、そして何よりあやまることですね」
 最後の言葉にノリコさんは顔色を変えた。
「あやまる? 誰がですか、私があやまらなきゃならないんですか?」
 この瞬間、たぶん私というカウンセラーは使えないと判断したのだろう。さすがに声を荒げることはなかったが、ノリコさんはうつむきながらぼそっと言った。
「考えてみます」
 これが最後かもしれないと思ったので、私はがんばって話し続けた。
「こころからあやまることはできないかもしれません。だって一生懸命苦労して育ててこられたんですからね。しかし、カオリさんとあなたは別の人間だと思います。いくらおなかを痛めて生んだとはいえ、母からは想像できない世界をもつことで娘は成長していくと思います。カオリさんはそのことを認めてもらいたかったのではないでしょうか。悪気がなくても相手が傷つくことはあります。そんなとき、あやまることで関係回復はできるのではないでしょうか。カオリさんとの関係も同じだと思いますよ。納得できなくても、とりあえずあやまりの文章を書いてみませんか」
 ノリコさんはうつむいたまま、バッグをハンカチで拭きながら私の言葉を聞いていた。ちょうど一時間が終わろうとしていた。
 ノリコさんは腕時計をちらりと見ると、少し微笑んでこう言った。
「ありがとうございました。先生にはほんとにいろいろお世話になりました。もう少しよく考えてみます」

(最終回・了)

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信田さよ子(のぶた・さよこ)

原宿カウンセリングセンター所長。著書に『母が重くてたまらない』(春秋社)、『共依存・からめとる愛』(朝日新聞出版)、『選ばれる男たち』(講談社)、『タフラブという快刀』(梧桐書院)、『父親再生』(NTT出版)ほか多数。
原宿カウンセリングセンター、ホームページ http://www.hcc-web.co.jp/

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