最終回

悪党たちの意外な天敵

―― 「マダムと泥棒」

 五〇年代イギリスのコメディの傑作と言えば『マダムと泥棒』(55、原題はThe Ladykillers)だろう。
 イギリスのユーモアは苦い味がするといわれるが、確かに出だしからしてハリウッドの笑いとは違っている。
 いかにも気の良さそうな老婦人が朝、町に出かけてゆく。隣人たちに次々にお早うと愛想よく声を掛ける。乳母車のなかの赤ん坊にも。――と、普通なら赤ん坊がにっこり笑うところが、なんと赤ん坊は大声で泣き出してしまう。
 普通と逆を行く。イギリスのビターなユーモア。
 製作者はサーの称号を持つマイケル・バルコン。イギリス時代のヒッチコックの作品『暗殺者の家』(34)『三十九夜』(35)『間諜最後の日』(36)などを手がけている。戦後も活躍し、六〇年代にはトニー・リチャードソン監督の名をあげた『トム・ジョーンズの華麗な冒険』(63)を作っている。イギリスを代表する名プロデューサー。
 監督はアレキサンダー・マッケンドリック。この映画で名を挙げてアメリカに呼ばれ、バート・ランカスター、トニー・カーティス主演の『成功の甘き香り』(57)を作る。脚本はこれも新鋭のウィリアム・ローズ。のちにやはりアメリカに行き、『おかしな、おかしな、おかしな世界』(63)『招かざる客』(67)を書く。
 乳母車の赤ん坊に泣かれてしまった老婦人ミセス・ウィルバーフォースは、やれやれと困惑した表情で、町の警察署に入ってゆく。
 そして警察官たちに、私の友人が昨日、空飛ぶ円盤を見たといっています、届けるのが市民の義務と思い来ましたと訴える。
 このいたって善良な夫人は、しょっちゅうこういう奇想天外なことを警察に言いに来ているらしく、警察官はまたかと苦笑しながらお礼を言い、なんとか引きとってもらう。
 この夫人と警察のやりとりが最後の愉快な結末の伏線になる。脚本が実にうまく出来ている。
 ウィルバーフォース夫人は三十年も前に商船の船長だった夫を失ってからは、三羽のオウムと一緒に一人暮しを続けている。
 ロンドンのキングス・クロス駅近くの二階家に住んでいる。ゴシックホラーに出てきそうな古ぼけた家で、鉄道の線路を跨ぐ広い陸橋の上に建っている。
 夫人は、空いている二階を貸そうとしているのだが、ボロ家なので借り手がいない。そこに、ある日、紳士が現われ、部屋を借りたいと申し出る。
 この紳士、マーカス教授と名乗る。登場場面は不気味な音楽と共にまずその影を写す。ホラー映画ふう。演じているのはイギリスの名優アレック・ギネス。このあと『戦場にかける橋』(57)でアカデミー賞の主演男優賞を受賞する。
 借り手が現われたので夫人は喜ぶ。教授を歓待しお茶でもてなす。やかんに水を入れるとき、水道管の調子が悪いらしく槌でカンカンと管を叩く。すると水が出る。このあたりもユーモラス。
 壁に掛かった絵が曲がっているのを見て教授が直そうとするが、絵はまた元に戻ってしまう。夫人が説明する。「このあたり(第二次世界大戦の時に)空襲でやられたので地盤が傾いているんですよ」。
 水道管を槌で叩いたりしていたのもこのためとわかる。住人と同様、家もガタが来ている。そういう家に平然と暮している夫人の平常心が巧まぬユーモアになっている。童女のようなこの夫人はたいていの俗事には驚かない。これも伏線になっている。
 演じているカティ・ジョンソンは若い頃に映画に出たことがあるというもののまずは素人といっていい。名前も知られていなかった。その無名の老婦人がこの映画の主役。アレック・ギネスをはじめ、登場する五人の小悪党たちを完全に食ってしまっている。
 教授がボロ家に部屋を借りたのは、実は、仲間四人と現金輸送車強奪を考えていて、その作戦会議をするため。老婦人が一人で暮す家なら人目につかない。
 仲間たちが次々にやってくる。こわもてのルイ(ハーバート・ロム)、少佐(セシル・パーカー)、少し間の抜けたワンラウンド(ダニイ・グリーン)、いちばん若いハリイ(ピーター・セラーズ)の四人。
 彼らはそれぞれチェロやヴァイオリンなど楽器を抱えている。二階の部屋で弦楽五重奏の練習をするという触れ込み。
 もちろん練習はふりだけ。レコードを流し、さも全員で演奏しているように老婦人を騙す。ちなみに流れる曲は、十八世紀イタリアの作曲家ボッケリーニの「メヌエット」。この映画に使われたことで一躍有名になった。
 音楽好きの老婦人は二階から美しい曲が聴こえてくるのですっかりうれしくなる。早速お茶を持って二階に上がってゆく。
 密談中の悪党どもにとってはこれが大迷惑。夫人が現われるたびに話を中断し、楽器を持って演奏しているふりをしなければならない。
 お茶ならまだいい。笑わせるのは、夫人の大事に飼っているオウムが檻から逃げたので捕まえてくれと頼みにくるくだり。
 大きな少佐やワンラウンドが小さなオウムを捕らえようと四苦八苦する。このオウムがゴードン将軍という立派な名前を持っているのも笑わせる。
 十九世紀に活躍した名将。スーダン総督をしていたが反英軍との戦いで戦死。『カーツーム』(66)では、チャールトン・ヘストンがゴードン将軍を演じている。
 そのオウムもなんとか無事に檻に戻るが、五人の男たちは老婦人に振回され続ける。悪党達もレディには弱い。
 いよいよ犯罪決行。白昼堂々、現金輸送車を襲い、大金の入ったトランクを奪う。それをキングス・クロス駅に一時預け、あとで気のいい夫人に、大事なものだからと取りに行かせる。
 駅に張り込んでいる警官たちも、童女のような夫人とトランクの組合わせになんの疑いを持たない。なかに大金が入っているとも知らず好人物の夫人は、教授に言われたとおりトランクを一時預かり所から受取るとタクシーで家に戻ることにする。
 途中、夫人ならではの“寄り道”があり、ひそかにタクシーのあとをつけている悪党たちをはらはらさせるところも笑わせる。
 その寄り道とは、荷馬車の馬をいじめている野菜売りを見て、夫人が「馬をいじめるのはやめなさい!」と一喝すること。動物愛護の国ならではの親切心。それが大きな騒ぎに発展し、警官までやってくるので悪党たちは大弱り。夫人の無邪気さ、善良さがいつも悪党たちの頭痛の種になる。
 それでも夫人はなんとか無事にトランクを家に持って帰る。作戦成功。あとは五人それぞれが楽器のケースに分け前の札束を入れて夫人の家を出てゆけばいい。
 ところが――、家を出るとき、のろまのワンラウンドがケースをドアに挟んでしまい、無理に引っぱろうとして蓋が開き、札束があたりに飛び散る。
 それを見た気のいい夫人もさすがにこれはおかしいと気づく。さあ大変。目撃されたからには夫人の口をふさがなければならない。手取り早いのは殺すこと。
 ところが悪党とはいえ五人とも善良な夫人を殺す勇気がない。みんな尻ごみする。仕方がないのでくじ引きで、殺し役を決める。当たったのは少佐。やむなく老婦人の部屋に入ってゆく。 
 一般にコメディに殺人は禁じ手。人が殺されてしまってはコメディの良さは失なわれる。ケン・アナキン監督のコメディ『謎の要人・悠々逃亡!』(60)が傑作たりえているのも、収容所からの脱出を描いていながら殺人がないこと。この『マダムと泥棒』でも、いざ殺人が行われる段になって、にわかに緊張が高まるが、そこはコメディ。善良な老婦人を殺そうとする悪党どもが、それに失敗し、最後は仲間割れを起こし、一人また一人と自滅してゆく。
 最後、一人残ったアレック・ギネスがハーバート・ロムの落ちていった鉄道線路を見下し、やれやれと思った瞬間、降りてきたシグナルに頭を打たれ、鉄道線路に落ちてゆくところはブラックな笑い。人が死んでもあくまで自滅。自業自得。
 そして最後に愉快な大団円が待っている。
 思わぬ強盗事件に巻きこまれてしまい、大金を手にした老婦人は、翌朝いつものように市民の義務を果たすために警察に届けにゆく。
 強盗事件の犯人を知っている、と話しはじめたとたん警察官は、またいつもの罪のないホラ話が始まったとばかりまともにとり合わない。老婦人は仕方なく、お金はどうしたらいいんですと聞くと、もらっておくといいですよとのこと。それではと老婦人は大金を有難く頂戴することにする。
 前述した、冒頭の空飛ぶ円盤の話がここにきて伏線として大きく効いてくる。警察署を出た老婦人が、いつも通りに坐っている物乞いに、すっかり気が大きくなり、大枚を渡し、物乞いがびっくりするというおまけの笑いもつく。人が五人も死んでいるのにこの善良な老婦人のおかげで幸せな気分になる。
 カティ・ジョンソンは当時、七十五歳だったという。ヴィクトリア時代の女性のような時代遅れの服装も観客の心をのどかにする。
 この映画は二〇〇四年に『レディ・キラーズ』のタイトルでリメイクされた。コーエン兄弟監督、トム・ハンクス主演。イルマ・P・ホールという黒人の女優がウィルバーフォース夫人を演じている。面白いが、オリジナルにはかなわない。
 喜劇をよく作ったイーリング社の作品。

(最終回・了)

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川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京生まれ。東京大学法学部卒。評論家。『大正幻影』でサントリー学芸賞、『荷風と東京』で読売文学賞、『林芙美子の昭和』で桑原武夫学芸賞、毎日出版文化賞、『白秋望景』で伊藤整文学賞を受賞。『銀幕風景』(新書館)、『現代映画、その歩むところに心せよ』『ロードショーが150円だった頃』(いずれも晶文社)、『きのふの東京、けふの東京』『ミステリと東京』『マイ・バック・ページ--ある60年代の物語』(いずれも平凡社)、『いまも、君を想う』『君のいない食卓』(いずれも新潮社)、『小説を、映画を、鉄道が走る』(集英社)ほか、著書多数。

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