最終回 知られざるビジネスマナーの歴史


上司に「ご苦労さま」は失礼なのか?

 ある日、人事課長の浦島太郎さんが社長室へ入っていくと、社長の桑原さんはモーニングを着込んでいた。
「おや、今日は何かあるんですか?」
「市会議員の山田君の息子の仲人をたのまれて、今日が結婚式なんだ」
「そりゃア御苦労さまです」
                           (源氏鶏太『三等重役』)


 いま現役のサラリーマンが読んだら、「おや?」と目をとめる個所です。みなさんはきっと新人の頃、部下が上司に向かって「ご苦労さま」とねぎらいの言葉をかけるのは失礼なので、「お疲れさま」といいましょう、とマナー教育を受けたことでしょう。
 でも『三等重役』が書かれた昭和二六(一九五一)年の時点では、課長が社長を「ご苦労さま」とねぎらうのは普通で、マナー違反という考えはなかったのです。
 それを裏づける調査もあります。平成一七(二〇〇五)年に文化庁が実施した世論調査で目上の人への「ご苦労さま」を容認したのは、二〇から四〇代では一〇パーセント前後しかいません。この世代には、それがマナー違反であるという「常識」が浸透しているのです。しかし五〇代は一四・三パーセント、六〇代以上では二〇・二パーセントと、年代が上がるにつれて目上へのご苦労さまを容認する割合が増えてます。
 この調査時点での六〇代以上というと、昭和二〇から三〇年代に社会人になった人たちです。若いころ日常的に使っていた言葉なので、マナー違反という感覚は薄いのでしょう。実際、「いつから上司にご苦労さまっていっちゃいけなくなったんだよ?」といぶかしむかたもいます。そう思うのも当然です。変わらない「型」をみんなで共有・実践することにマナーの存在意義があるのだから、ちょいちょい変わっちゃったらマナーの自己否定になってしまいます。
 じつは、「ご苦労さま」を目上から目下へのねぎらいとする常識にも、疑問が投げかけられてます。複数の国語学者が、江戸時代の文献ではむしろ目下から目上への使用例が多いことを指摘してるといったらビックリしますか。いまとはまったく逆だったんですよ。
 倉持益子さんの論文では、明治時代には目上にも目下にも使えたのに、大正時代あたりからだんだん目下への使用例が増えたことがあきらかにされてます。倉持さんは、当時軍人や警察官がよく使っていたことから「ご苦労」にイバってるイメージがつき、目下への言葉と誤解されるようになったのではと推測します。
 ところで江戸時代の「ご苦労さま」は庶民階級の言葉です。武士や殿様は、そもそも使ってません。殿が家臣にかけるねぎらいは、「大儀」です。大儀であったぞ、なんて感じで。

「お疲れさま」はチャラい流行語

 「お疲れさま」の正体についても疑惑が浮かんでます。二〇一一年の『日本経済新聞』に掲載された評論家川本三郎さんのコラム。ご自身の回想記『マイ・バック・ページ』が映画化されることになり、撮影現場を訪れた川本さん。舞台となってるのは一九七〇年代の新聞社なのですが、先に帰る先輩記者に、居残っている後輩たちが、「お疲れさま」と声をかけるシーンが撮影されていて驚きました。当時の新聞社では、お疲れさまなんて言葉は使ってなかったと監督に告げると、監督も驚いて、そのシーンのセリフを変えてすぐに撮り直したそうです。
 小さいことなのに撮り直しになるなんて、悪いことしちゃったなと川本さんは恐縮してますけども、いえ、時代考証という観点からは大事なことだと思いますよ。目上の人には「お疲れさま」というべきだ、とするビジネスマナーは、八〇年代に広まった比較的新しいルールであり、日本語の乱れといっても過言ではない、チャラい流行語なんです。その点にほとんどの人が気づいてないことこそが、伝統文化の軽視です。
 なぜ「お疲れさま」がチャラい流行語なのか? それはもともと芸能界だけで使われていた業界用語的なあいさつであり、一般社会ではほとんど使われていなかった言葉だから。ギロッポンでナオンとシースーみたいな? そこまで下品ではないかな。
 川本さんに先駆けること三〇年前、一九八〇年の雑誌『人と車』で、NHKのアナウンサー川上裕之さんも同様の経験を語ってます。七八年の朝ドラ『おていちゃん』のリハーサル現場で、大正時代の人物が「お疲れさま」といってるのはまちがいだとディレクターに忠告し、セリフがその場で修正されました。後日そのことを明治生まれの女優、長岡輝子さんに話したところ、あなたは正しい、お疲れさまは芸人の楽屋言葉で、一般の人が使うようになったのはごく最近だと認めてくれたとのこと。
 演出家の八田元夫が戦前(一九三九年)に書いたコラムでも裏がとれました。一般社会とは異なる演劇界だけの習慣として、夕方でも夜でも楽屋入りしたときには「おはようございます」、幕が下りたあとには「おつかれさま」とあいさつを交わすことを紹介し、言語学者には叱られそうだな、と自嘲します。
 雑誌記事で確認してみると、たしかに一般の文献では、七〇年代くらいまで「お疲れさま」はめったに出てきません。五九年の『小説倶楽部』に京都の撮影所でスチールカメラマンをやってる男の話があって、芸能界では、さようならとかおしまいの意味で「おつかれ」を使うと説明されてます。六〇年代『放送文化』の「おつかれさま」、七〇年代『週刊平凡』の「ハ~イお疲れさま!」はいずれも、テレビ撮影現場のこぼれ話をまとめたページのタイトルとして使われてます。
 ということで、「お疲れさま」というあいさつは芸能界から一般に広まったものとみなして、まず間違いないでしょう。でもじつは一般の人たちも、目上・目下に関係なく使えるねぎらい言葉を待ち望んでいたのです。上下関係を気にしなければならない「ご苦労さま」よりも使い勝手がよかったこともあって、八〇年代の日本人は、待ってましたとばかりに「お疲れさま」に飛びつきました。
 その一方で、ビジネスマナー講師たちのとまどう様子もうかがえます。
 八六年『ビジネスマナー事典』では、ご苦労さまもお疲れさまも本来目下に使う言葉だとして(その認識もまちがいなんですが)、あえて使うなら「お疲れさまでございました」と丁寧にいいましょうと勧めるも、ムリヤリな感は否めません。
 ベテランマナー講師の坂川山輝夫さんも八八年『仕事に生かすキー・トーク300』で、目上にはお疲れさま、同僚と目下にはご苦労さまが一般的だと折れてしまいました。でも社内で統一されているのなら、目上にご苦労さまといってもかまわないと若干、旧世代の意地を通そうと抵抗しています。
 そんな抵抗もむなしく、二〇〇六年、なんと政府の文化審議会までが、目上にはお疲れさまを使うよう勧めるとお墨付きを出したのでした。芸能界の符丁にすぎなかった「お疲れさま」は国民的マナーへと成り上がりました。
 ところが近年では、お疲れさまの乱発が逆にマナーを逸脱してるのではないかと懸念の声が聞かれるようになりました。午前中、その日最初に会ったのに、若手社員から「お疲れさまです」とあいさつされた、なんて経験はありませんか? まだ疲れてねえよ! どんだけよぼよぼジジイだと思ってんだよ! てか、午前中なんだから「おはようございます」でいいじゃねえか! なんもいわずに会釈だけでもかまわねえよ! なんなんだ、お疲れさまって!
 熊本大学の登田龍彦さんは早くも二〇〇四年の論文で、学生たちが朝から「お疲れさまです」とあいさつしてくる奇妙な現象を報告しています。若者たちにとっては、お疲れさまはねぎらいの言葉ではなく、感情を伴わず敬意を払える機械的なあいさつなのです。その世代の学生はもう実社会で活躍していますから、よのなかに無意味なお疲れさまがあふれるようになったのも不思議ではありません。
 ご苦労とお疲れに、もっとも頑強に抵抗してたのが、八三年刊『敬語で恥をかかない本』の草壁焔太さん。ねぎらいというのは目上の者が目下の者にする行為なので、上司にねぎらいの言葉をかけてはいけない。ゆえに、目上に対するご苦労さまもお疲れさまも全否定。自分の仕事のことで上司が奔走してくれたなら、「ありがとうございました」「お手をわずらわせました」などというべきである。上司をねぎらうゆとりがあるなら、自分がもっと働け。
 かなり居丈高な印象もありますが、スジは通ってるんですよね。そもそもねぎらいとは、がんばったねー、えらいねー、と上から目線で相手をほめる行為なので、目上の人はねぎらうな、って硬派なマナーにも一理あります。いまの天皇陛下が生前退位することになれば、「陛下お疲れさまでした!」みたいな文言が世にあふれ、その軽さを失礼だと批判する人たちとの論争が起きる可能性もあります。マナーって、めんどくさいですね。

ニトベのキモチ

 前置きのつもりで書きはじめた「ご苦労・お疲れ」論がずいぶん長くなってしまいました。あらためて意味や来歴を考えると、あいさつ言葉ひとつとっても、ビジネスマナーはむずかしいものだと再認識していただけたのではないでしょうか。
 それが簡単に思えるとしたら、なにも考えずに「型」として踏襲してしまってるからです。ところが先ほどから検証しているように、時代環境の変化や人間の都合によって、マナーのほうが変わってしまう事態がしばしば起こります。
 毎年のように、ことしの新人はマナーも常識もわかってない、って批判が聞こえてきますけど、それ、あたりまえなんですよ。マナーの常識のほうがいつのまにか変わってしまうのだから、新人にわかるはずがありません。マナーは毎年毎年、新人に教え続けねばならない宿命を持っているんです。
 という私の考えは、とっくのむかしに指摘されてました。明治四〇年に第一高等学校(東大教養学部の前身)の校長だった新渡戸稲造が『中央公論』に寄せたコラムを要約するとこんな感じ。
 ちかごろ時勢を憂う人は、むかしに比べて青年の気風が悪くなった、品行がおおいに乱れたと述べるが、僕は若者の品行はだいたいにおいてよくなったと思う。新聞に学生の醜聞が目立つのは、新聞が細かいことまでたくさん報じるようになっただけで、学生が堕落した証拠ではない。いまは町人でも百姓でも学生になれて人数が増えたから、そのなかにカスがたくさんあるのも当たり前で、それは日本社会が進歩した徴候なのだ。行儀作法が乱れたのは確かだが、畳の生活から椅子や机の生活に変わったことで礼儀作法も変わったのに、庶民の多くがそれを教わってないせいである。
 さすが新渡戸です。日本屈指の知識人である新渡戸を『武士道』なんて愚論のみで評価しないでください。印象論・感情論に流されず、事実に立脚してものごとを理知的に分析しようとする姿勢にこそ、新渡戸の真価があるのです。とはいえ、この小論は客観的な理屈に徹してるわけではなく、行儀作法はお互いの人格に対する尊敬の念を示すものだから、瑣末な形式ではなく、こころが大切だ、とわりと常識的なことを述べてます。

大正と戦前昭和のマナー本を読んでみた

 ビジネスマナーの解説書は、サラリーマンが登場した大正時代からすでに存在しています。初期の一冊、大正二年刊『新説処世大鑑』は、精神論が幅をきかすこの時期のマナー本にしては珍しく、かなり具体的な記述が多いのが特徴。ためしに、激怒している相手への対処法を説くページを開いてみましょう(引用個所は、現代語の表記に変更してあります)。

相手が名題の気短で烈火の如く怒り殴らんばかりの気勢を示したとき、もしくば頭に天保の黴がはえて心が石のように固まった頑固おやじががみがみと怒鳴りつけるとき、受け身のほうのこれに対する唯一の良法は、黙聴である。些の抵抗の気を示さず、ご無理ごもっともでわが腹の虫を殺し、我慢するのである。

 どうです? むかしからキレて暴力をふるう不条理な客や上司は存在し、その対応にみんな手を焼いていた様子が伝わってきますね。それが漢語混じりの文章で書かれると、歌舞伎のワンシーンを見ているかのようでカッコよく思えてしまいます。相手の怒りが静まるまで、黙ってただ耳を傾けよという対応は、きっといまでも通用するのでは。
 大正一一年の『中央公論』には北川完三の興味深い指摘があります。東京の中流以上の人々が使う敬語は明治になってから複雑になったというんです。彼がこどものころに教えられた敬語は、「○○してください」「○○してくださいまし」だけでした。それが明治以降は、「○○していただきとう存じます」「○○遊ばしていただきたいのです」などさまざまなバリエーションが増えてわかりづらくなったとご立腹。以前のように単純な敬語に戻すべきだと主張します。北川の認識にどの程度客観性があるか不明ですが、標準語が明治時代に人為的に作られた事実を考えれば、敬語もムリヤリ作られた可能性を否定できません。
 『新会社員学』(昭和三年)は立教大の教授伊藤重治郎が、就活学生と新入社員向けに書いたガイドブックです。履歴書の書きかたや面接のノウハウなどを、学生に語りかけるような口調で丁寧に解説しているところに教育者としての熱意と愛情を感じます。
 なかでも実業界の作法と心掛けを説く章には注目点が盛りだくさん。だれかを訪問するときは、事前に電話で都合を聞いてから出掛けるのが礼儀だとします。電話という新技術が会社関係に急速に普及したことで、訪問時のマナーもアップデートされたのです。
 あいさつをしろ。時間を守れ。このふたつは、大正時代から現代まで、どのマナー本にも必ず書いてあります。逆にいうと、あいさつをしないヤツ、時間にルーズなヤツは時代を問わず存在しますし、永久にいなくならないってことです。
 興味深いのは、伊藤はこどものころ、あいさつをしろと親からしつけられたおぼえがないと書いているくだり。一五歳でよその家で寝起きすることになったとき、その家の人から朝はおはようといいなさいとはじめて教えられたといいます。
 戦前はこどものしつけがきびしかったというイメージをお持ちのかたが多いと思いますけど、実際にはこどものしつけに無関心な親もかなり多かったのです。その証拠に戦前の新聞雑誌書籍でも、ぶしつけなこどもの行動に腹を立て、親はなにをやっとるんだ! と憤る意見は普通にたくさん見られます。
 就職後、意地の悪い上司の下に配属されたらどうするか。この普遍的な悩みにも真摯に回答しています。根性が小さく働きがないために、その地位を保つに汲々として、部下の功績を自分ひとりの功績に見せようとする……そんな上司はどこにでもいて、きみらの先輩たちも苦しんできたのだよ。
 そんなときは自分ひとりで煩悶せず、早く僕に相談しろと伊藤はいいます。社会経験のない若者には誤解や思いこみも多いから、信頼できる年長者に聞けば、案外簡単に解決策を見出せることがある。それでもだめなら、しばらくは辛抱だ、となんだかミもフタもない結論になってしまいます。でもまあ、親身になってくれる年長者がいてくれるだけでも、若者にとっては心強かったことでしょう。

戦後エチケットの夜明け

 ここまで普通に「ビジネスマナー」という言葉を使ってきましたが、この用語が世間に広まりはじめたのは一九六〇年代末ごろから。完全に定着したのは八〇年代です。戦前はもちろん言葉自体存在しませんし、戦後から六〇年代までは「ビジネスエチケット」という呼びかたが主流でした。
 一九五〇年の『文藝春秋』に、朝ドラ『とと姉ちゃん』で久々に注目を集めた花森安治が「エチケットの戒め」という記事を書き、八ページにわたってさまざまな事例をイラスト付きで並べています。そのなかにオフィスエチケットの項目もちょっとだけあります。私用電話をするな、女の子の前で猥談をするな、机に脚をのせるな、といった戒め。
 女性が和服でガムを噛むのは見苦しい、なんてのは独特な着眼点です。なにからなにまでエチケットの教科書どおりにふるまう男がいたら、そいつはたぶんよほどのバカか大ウソツキだ、とマナー至上主義への皮肉も忘れません。
 日本経営者団体連盟が出した『職場のエチケット』は、五二年の初版から五〇年代末まで版を重ねるロングセラーとなりました。おそらく新人研修などで利用する企業が多かったのでしょう。内容は、いまのマナー本と比べたら、かなりざっくりとしています。
 若い女性向けの五六年刊『職業の選び方』。試験の成績がよく人物が立派でも、片親のために就職できないことが世の中にはずいぶんありますという個所からは、ひとり親家庭に対する社会的偏見がいまよりずっと強かったことがうかがえます。
 五九年の『現代ビジネス・エチケット』はビジネス書の老舗ダイヤモンド社が手がけただけに、具体性・実用性が類書のなかでも群を抜く決定版といってもよい出来です。
 冠婚葬祭の記述も充実しています。会社代表として告別式に行ったら故人のうわさ話はつつしめ。「二号さんがいたらしいぞ。さっき焼香して泣いてた年増じゃないか」なんておしゃべりを親族に聞かれたらまずい……。ゲス不倫どころか、地位のある男が普通に妾を囲っていた時代ならではのエチケット。
 巻末にはビジネス書出版社としての取材力を活かし、大手企業のエチケット規定集を抜粋して掲載しています。この当時から、イラストでわかりやすく説明したりと、各社とも知恵を絞っていた様子がうかがえます。住友銀行の店頭接客マニュアルの「つっけんどんではいけない」。つっけんどんって言葉、しばらくぶりに聞いたなあ。

七〇年代は、エチケットからマナーへ

 六〇年代は、新入社員の研修が大がかりで組織的になっていった時期にあたります。六三年の東京商工会議所調査によると、むかしから現場で下積みをさせるのが普通だった中小企業でも、一九六〇年以降は新人研修を行うところが増えたとのこと。ナマイキな新人が増えたといわれた六〇年代だったから? いえ、人間性の問題ではなく、単純に採用人数が急増し、各現場レベルだけでの対応が難しくなってきたということでしょう。
「モラルが高まれば、モラールも高まるが、モラールが高まれば、モラルも高くなる」
 なにこれ? 禅問答か? 六三年刊『新・幹部社員読本』、若手を指導する側のマニュアルからの一節ですが、モラールというのは、やる気・士気・勤労意欲を意味するフランス語だそうです。会社の幹部がフランスかぶれというのもねえ。カラオケでシャンソンとか歌っちゃうのでしょうか。
 六七年一月号『婦人公論 暮しの設計』は一冊ほぼまるごと、現代マナーの大特集で、礼儀作法を意味する外来語が「エチケット」から「マナー」へ移行しつつあったことがうかがえます。
 病気見舞いのマナーの項目を執筆したのは、当時、聖路加国際病院の内科部長だった日野原重明さん。あなたの動機は不純ではありませんか、と意表を突く問いかけをしてきます。他人の病気を利用して、恩や顔を売ろうというつもりなら、診療のジャマだから見舞いに来ないでほしいと、義理や虚礼のビジネス見舞いに、医者の立場から苦言を呈してます。
 七〇年代に入ると雑誌でもビジネスマナー関連の記事が増えてきます。七三年の『週刊アサヒ芸能』には「こんな女子社員はぶん殴れ!」と、おだやかでない見出しが。実際に殴りかたのコツを伝授してるわけじゃありません。敬語どころか、ですます調のていねいな言葉すら使えず、仕事では手抜きばかり、そんなOLをこきおろしてオジサンたちが鬱憤を晴らす記事です。
 一流企業の新人マナー教育を取材した七二年八月の『週刊現代』記事は、最近の若手社員は葉書ひとつ満足にかけない、廊下で肩がぶつかっても失礼のひとこともいえない……とお決まりの惹句ではじまります。再三いってるように、それは「最近」のことじゃありません。サラリーマンが誕生した百年前から、若手は仕事もマナーも満足にできないものなのです。だって、若手だから。
 記事では各社のマナー指導法として、三越が明治時代から使い続けているマニュアル「三越小僧読本」や、新日鉄の「オハヨウ運動」などを紹介しています。朝、会社に出勤したら、すれ違う人全員におはようとあいさつしよう、と専務が提唱し実践しているというのですが……この手のこども扱いとも思えるような教育は、四〇年以上も前からやってたんですね。

マナー本のベストセラー

 七三年には山口瞳の『新入社員諸君!』がベストセラーに。マナーのマニュアル本としてというよりは、読みものとして楽しめる一冊だから売れたのでしょう。
 四七歳の課長心得(課長補佐みたいな役職)がイヤなヤツだったとする。そいつは大正生まれで、戦争でいろんなものを失った。昇進は遅れ、いまの新人が自分のときよりずっと多い初任給をもらってることが腹立たしい。定年が迫ってくるのにまだ家も建たない焦り。こんな人間のことも理解してやってくれ――そういわれちゃったらもう、笑うしかありません。
 忘年会、新年会、社員旅行、自社製品の社員割引き制度は、日本の会社のバカバカしい慣習だからやめたらどうだ、とけっこう過激でリベラルな発言も飛び出します。社員割引きをやめろというのは、普通に店で買ったほうが自社製品の宣伝と売上に貢献できるという理由から。
 アメリカ人の工場労働者はお茶一杯飲まずムダ話もせず働くのだから、アメリカ人の給料が高いのは当然だ、という記述だけは、持ち上げすぎで納得できません。この時期たまたまアメリカの景気がよかったってだけじゃないですか。
 でも、この時期の日本――というか山口瞳くらいまでの世代の日本人は、まだ欧米コンプレックスが強いんです。勤勉な欧米人を見ならえ! 日本の街はゴミだらけだが欧米はきれいだ。欧米人の公共マナーを見ならえ! そんな意見が目立ちます。
 山口瞳とほぼ同世代の鈴木健二さんが一九八二年に出した『気くばりのすすめ』は三〇〇万部を超えるマナー本のオバケヒットとなりました。
 そもそもビジネスマナー本にはエセ文化論が混入していることが多いので、真に受けないよう注意する必要があります。欧米では人前で化粧をするのは売春婦説(これは日本人による作り話です)や、メラビアン博士の論文内容とまったく異なる「メラビアンの法則」、ヴィクトリア女王が客に合わせてフィンガーボウルの水を飲んだ話、そして江戸しぐさなど、マナー本とマナー講師が都市伝説や歴史捏造の感染元となってる例は数知れず。
 『気くばりのすすめ』も例外ではないどころか、出所の怪しい逸話だらけで、トンデモ本に分類される作品だということだけは申し上げておかねばなりません。
 一例をあげると、「すみません」はあやまってるわけじゃなく、私の心はいままで澄んでいたのにあなたにこのようなことをしていただいてかき乱されております、どのようにお礼をしたら元のように澄むでしょうかという意味である――などと、国語学的にも民俗学的にもデタラメとしかいいようのない、わけのわからぬ珍論を自信たっぷりに披露するので、鈴木さんの良識を疑ってしまいます。
 案の定といいますか、戦後日本人はダメになった、というおなじみのお題目も繰り返し唱えられてまして、じゃあ鈴木さんが手本にすべしと称賛してるのは何者かというと、戦国武将と欧米人なんです。欧米人のマナーは素晴らしい、マクドナルドとケンタッキーフライドチキンも素晴らしい、って、これ私が冗談いってるんじゃないですよ。ホントに本気で書いてあるんです。とにかく鈴木さんは欧米大好きなんです。
 このあとアメリカの工業は衰退し、日本人が勤勉すぎてわれわれの仕事を奪ったのだ、と的外れな日本叩きがはじまりました。かたや日本では、戦後の日本は欧米の個人主義の影響でダメになったのだ、と根拠のない欧米文化批判が台頭します。どっちもどっちですね。頭の悪い人が自分の不幸を他人のせいにしたがるのは、万国共通なようです。

過熱するビジネスマナー業界の行方

 国会図書館の蔵書検索でビジネスマナー関連の本を探すと、それまで毎年五冊程度しか出てなかったのが、八七年に一六冊、八八年は二七冊と、この時期、急に増えたことがわかります。
 なぜなのでしょう。新聞報道などからその背景を検証すると、理由が見えてきました。六〇年代から社員研修を重ねてきたことで確立したノウハウを活かし、八三年ごろから、社員研修を請け負う会社が増え出したのです。
 自社で独自の新人教育をするよりも、専門の研修業者に外注したり、社外セミナーを利用したほうが効果的で安あがりだということで、中小企業は以前から利用していたのですが、そのメリットに気づいた大手企業からも、じょじょに引き合いが増えていきます。
 どうやら、八六年に男女雇用機会均等法が施行されたことが転機となったようです。企業がそれまで男女別にやってきた新人研修を、総合職、店内職のように組み立て直す必要に迫られたことをチャンスと捉え、さまざまな企業が社外研修請負事業に参入したのです。八六・八七年の各紙経済面から拾えたものだけでも、ブリヂストン、安田火災、新日鉄、日本生命といった大手企業が、社員研修を請け負う事業をはじめると発表してました。
 九〇年代になると、今度はそういった研修会社で講師を務めていた人たちが独立し、新たに研修会社を起こしたり、ビジネスマナー本の執筆・監修をするようになります。
 二〇一七年二月時点での国会図書館蔵書検索によるビジネスマナー本執筆者(監修含む)の御三家は、西出ひろ子(博子)さん(一七冊)、岩下宣子さん(一六冊)、古谷治子さん(一四冊)。七~八冊出してる人なら腐るほどいます。その結果、近年では毎年五〇冊くらいのビジネスマナー関連本が出版されるほどになりました。
 こうなると、供給過剰が危惧されます。少子化という避けられない未来を前に、ビジネスマナーというビジネスは今後も発展を続けるのでしょうか。はたまた、過当競争で潰し合いになるビジネスマナー戦国時代に突入するのでしょうか。そして、今後新たに飛び出すのはどんなエセ文化論なのか。ビジネスマナーウォッチングの興味は尽きません。

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パオロ・マッツァリーノ

イタリア生まれの日本文化史研究家、戯作者。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。著書に『反社会学講講座(正・続)』『偽善のすすめ』『誰も調べなかった日本文化史』『「昔はよかった」病』『怒る! 日本文化論』『ザ・世のなか力』『コドモダマシ』『みんなの道徳解体新書』など。

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