最終回


「こんちは。寒くなったわねえ」
 ヘイ、らっしゃい! 
「なんかカラダのあたたまりそうなものは、と……メニューが代わり映えしないわねえ。新メニューとか、攻めの姿勢を見せなさいよ」
 今日はずいぶんと上から目線だなあ。新メニューってほどではないんですが、トッピングでとろろ昆布をはじめてみました。これをのせるだけで、ごく普通のかけそばが、料亭の味に!
「行ったことないから知らないけど、料亭って、かけそば出すのかしら? せっかくのおすすめだから、それちょうだい」
 かけ一丁、昆布のせー! ヘイ、お待ち!
「ホントだ。意外といいかも」
 でしょ? 今年最後のサプライズ。
「ああ、今年もいろいろあったわよねえ」
 たとえば?
「え? えーと……」
 相変わらず、なにも考えずに生きてますね。
「いろいろありすぎて、考えすぎちゃうから、なんだかわかんなくなっちゃうのよ」
 いまのあなたの言葉を聞いて、むかし読んだ本のことを思い出しました。ベイトソンという文化人類学者が、自分は脳の4分の1くらいしか使えてない気がすると、娘に話すんです。あとの4分の3はどうしたのと聞かれたベイトソン、学校で勉強したら脳の4分の1がモヤモヤ曇ってしまった。新聞を読んだり他人の話を聞いてたら、また4分の1が曇ってしまった。あとの4分の1は、自分でいろいろ考えているうちに曇ってしまったんだ、と答えます。
「なんだかダメな学者さんね」
 ベイトソンはちょっと――かなり、かな? 変わった人だったらしく、バリ島の風習、イルカの習性、統合失調症やアルコール依存症の研究など、さまざまな分野に首をつっこんで手広く研究してました。そのせいか、なかなか評価されなかったようです。なにごとも、特定分野をひと筋に極めた人のほうが評価されやすいですからね。
 その彼が70歳近くなってから、それまで書いた論文やコラムをまとめて出版したのが『精神の生態学』という本です。この本が評判になったことで、ベイトソンの名はようやく世間に知られるようになったみたいです。
「なにこれ。ぶ厚い。堅そう。むずかしそう」
 まあ、そうなんですけどね。専門的な部分も多いので、ちゃんと理解しようとするとけっこう骨が折れることでしょう。私もよくわからないところは飛ばし読みしました。なんせ1972年に出た本なので、統合失調症のダブルバインド理論とかが、いまでも通用してるものなのかとか、内容面の正確性は私にはわかりません。でも、むずかしいけど妙におもしろいから、なんだか好きなんですよね、この本。
 日本人の学者さんは、むずかしいことはまじめに書かなきゃいけないと思い込んでるフシがあります。欧米の学者は、まじめな内容の本にも、ちょろっとユーモアやジョークを滑り込ませたりするもんなんですけど。
「日本ではそういうことすると“ふざけてる”って怒られるのよ、きっと」
 この本の最初の章は、ベイトソンの学問や社会に対する基本理念が、パパと娘の会話体で書かれてます。さっきの脳の話もここで出てきます。
 会話体の文章は、とっつきやすいし、説明もしやすそうだから、ブログとかでもしばしば使われてるのを目にします。ただ難をいうと、キャラが全然立ってないケースがあるんですよねぇ。会話体の文章は、どんなに短いものでもキャラ設定が不可欠なんですけど、それをやらない筆者が多い。AさんとBさんの会話のはずなのに、キャラ設定がないから、同一人物が自問自答して納得してるだけにしか思えなかったりとか。
「想像すると、ちょっとコワいシチュエーションだわ」
 『精神の生態学』のパパと娘の会話は、おそらく実際に交わされた会話でなく、ベイトソンの創作でしょうけど、なかなかよくできてます。一般読者なら、とりあえずここだけ読んで、あとは読まなくても、知的好奇心を満たせるんじゃないかと。
 さきほどの、脳がモヤモヤする話も、10年以上前に読んだときには、おもしろいなとしか思わなかったんですが、いまの私は深くうなずけます。がんばって勉強して知識を大量に仕入れたって、頭がスッキリするとはかぎらないし、それが血肉にならないことも、ままありますからね。
 そんなこと考えながら、いまパラパラと読み返してたらビックリしました。先日私はブログで、世間の人たちが表面的な“寛容さ”で他人の善悪を決めてしまったりする風潮を批判する意見を述べたんです。そしたらなんと、この本のパパと娘の会話の中でも、娘が寛容という言葉を不用意に使ったことでベイトソンが怒ってるじゃないですか。
 寛容であることは一種のボケだ、ものごとをよく考えずに決めつけてボヤけさせてしまう愚行だ、寛容であれ、なんて学校で教えたりするから、みんな頭がボケちまって、大事な区別がつかなくなるのだ!
「かなりの激怒ね、ベイトソンパパ」
 考えすぎても頭はモヤモヤ曇る。なにも考えずに常識や寛容さに頼っても頭はボケてしまう。世の中は矛盾だらけですよ。だったらやっぱり、考えたほうがましなのか。
 ずいぶん前に読んだんで、自分ではこの寛容さのくだりをすっかり忘れてましたけど、気づかぬうちに、ベイトソンパパの影響をしっかり受けてたのかもしれません。
「すぐに効果がなくても、あとからじわじわ効いてくる読書ってのもあるんじゃない?」
 そういうこと。うちのそばの味と一緒です。
「そこまでの味では、ない」

ご愛読ありがとうございました。本連載を加筆訂正し単行本化する予定です。こちらも乞うご期待!

◆今回紹介した本

『精神の生態学(改訂第2版)』

グレゴリー・ベイトソン 佐藤良明訳

新思索社 2000

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パオロ・マッツァリーノ(Paolo Mazzarino)

イタリア生まれの戯作者。現在、千葉県民。公式プロフィールにはイタリアン大学日本文化研究科卒とあるが、大学自体の存在が未確認。父は九州男児で国際スパイ(もしくは某ハンバーガーチェーンの店舗清掃員)、母はナポリの花売り娘、弟はフィレンツェ在住の家具職人のはずだが、本人はイタリア語で話しかけられるとなぜか聞こえないふりをするらしい。ジャズと立ち食いそばが好き。著書に『コドモダマシ――ほろ苦教育劇場』、『パオロ・マッツァリーノの日本史漫談』、『13歳からの反社会学』、『つっこみ力』『怒る! 日本文化論 ――よその子供とよその大人の叱りかた』などがある。

著者ブログ http://pmazzarino.blog.fc2.com/

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